COLUMN

2011.11.01内藤 真紀

シリーズ「ポスト3.11のあたりまえ」#3非実用の実用性

 「ポスト3.11のあたりまえ」。なかなかに難しいテーマである。というのも、それまでの「あたりまえ」が続けられなくなったのが3月11日の地震だと思うからだ。つまり、ポスト3.11のあたりまえとは「あたりまえと思っていたことでもあたりまえではなくなる場合がある」ことだというのが私の実感である。しかしそれではあまりに投げやりだし、お題を出した中間さんの意図とも違うだろう。というわけで、もう少し掘り下げて考えてみることにする。

 被災地では、家族や住まい、仕事やコミュニティを失った方々が多数おられる。そうした方々に比べるべくもないが、3.11以降、全国のほとんどで日常の生活環境・生活行動に変化を強いられるようになったに違いない。私もその一人だが、とくに「あたりまえは存在しない」と強く感じたのは趣味の分野である。
 もともと趣味は自発的なものである以上、自分の意志や事情以外の要因に左右されることはほとんどなかった。しかし今回の地震では、それまで週3回を基本に楽しんでいたものが約3か月間できなくなるという事態になった。活動拠点のある地域一帯が液状化の被害に遭い、施設が利用禁止になったためである。復旧は住宅や事業所が優先で、文化・スポーツ施設が後回しになるのは当然のことだ。とはいうものの、3か月もの施設閉鎖は予想を超えるものであり、習慣を維持できるとは限らないと痛感すると同時に、趣味の時間がいかに私の生活を構成する要素になっていたか、日常の楽しみがどれだけ重要かということに気づくきっかけとなった。

 震災から半年後、被災地に住む友人を訪ねる機会を得た際にも「日常の楽しみの大切さ」を感じさせられることがあった。たとえばある友人は、自宅避難生活の間、好きなコーヒーと煙草が思うようにならなかったのがつらかったという。「不足しているもの、お困りのことはありますか?」と聞いてくれるボランティアに「煙草がほしい」とは言い出せなかったそうだ。また、ある地域の仮設住宅自治会長をしている別の友人からは、入居者の要望でプランターと花を全戸配布したという話を聞いた。日ごろ畑や花壇の手入れをしていた人が多いというのが大きな理由で、1日1回は戸外に出る機会をつくることで一人暮らしの人の孤立を防ぐねらいもあるらしい。

 避難生活、生活復旧には、まずは生きるため、生活のための実用的なものやことが優先されると当然のように思う。プランターの話を聞いていた折、埼玉から支援物資を届けに年配の男性が訪ねてきたのだが、毛布やタオルにいくつかの花瓶が混じっているのを見て、正直なところ違和感を覚えた。
 しかし、嗜好品もプランターも花瓶も、はたから見れば非実用的だが、日常の楽しみ、日常生活の断片を取り戻す貴重なアイテムだ。先の愛煙家の友人の話では、なかには「煙草は大丈夫ですか?」と聞いてくれるボランティアがいたという。食糧・水・燃料が重視されていたときに「煙草が切れた」とは申し出にくいことを察するボランティアや、実用品一辺倒のイメージのある支援物資に花瓶を入れる支援者から共通して感じられるのは、日常生活を続けることが難しくなったときでさえ、またそんなときこそ、相手の日常的な楽しみを尊重する気持ちだ。

 ポスト3.11のあたりまえとして私が挙げたいのは、日常の楽しみのような一見非実用的なもの・ことを尊重するという意識だ。非実用的なものに、ことさらに意味を見つけ説明する必要はないが、それが大切な存在だと認め、互いに尊重する姿勢が主流になっていくといいと思う。思えば、中間さんの挙げていた「共生の時空間」も、田口さんの挙げていた「人とのつながり」も、一見非実用的な日常の積み重ねのなかから生まれてくるようにも感じられるのだ。
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