COLUMN

2013.01.01中間 真一

かける手間、はぶく手間~ 効率と人間性の考えどころ ~

明けましておめでとうございます。
東京は、穏やかな元旦を迎えました。今年も、HRI研究員コラムを、よろしくお願いいたします。
 
 年の瀬が迫ってくると、みんなが注連縄を飾ったり、カウントダウンをしたり、大掃除をしたり、とにかく「間」に「区切り」を付けようと慌しく動きまわります。そして、そういう日常(ケ)の区切りには、非日常(ハレ)のお祭りイベントが挟み込まれます。大事な日常(ケ)を長続きさせていくために、ハレを設けて、エネルギー再注入してつないでいく暮らし方の知恵は、世界中に暮らしの文化として根付いているようです。
 
 しかし、90年代あたりから、このハレとケの意識は、薄められ続けているような気がしてなりません。最近では、ハレだらけなのか、ケだらけなのか、どちらにしても継ぎ目が見つからない、走り続ける暮らしのスタイルの上にあるように感じます。確かに、利便性や効率性からすると、走っているのを一旦やめて仕切りなおしするなんて、ムダなこと、不経済なことになるのでしょう。頭では理解できる話しです。
 
 しかし、それは人間に適したシステムなのでしょうか?頭では理解できても、気持ちは納得しきれません。私が古い世代だからかもしれません。やっぱり、門松は一夜飾りにならないように門扉に付け、年賀状はハガキでなんとか大晦日までに投函し、寒い中に列に並んでも近くの蕎麦屋で年越し蕎麦を家族でいただく。そして、元旦の朝はおせち料理とお雑煮で始まる。こういう区切りのイベントが、自分の心と体を安心させてくれて、また次の日常を走り始められるように感じるのです。
 
「手間」という言葉があります。使われ方によって、価値になったり、ムダになったり、両極端の使われ方をします。「手間をかける」と言えば、それだけの価値を加えられたことを意味する肯定的な響きとして伝わるはずです。しかし、「手間を省く」という時の手間は不要なもの、ムダを意味しています。最近は、どちらかと言うと、後者のムダとしての使われ方が多くなっているのではないでしょうか。忙しく走り続ける人の暮らしの手間を省く商品やサービスが話題となって、次々にヒットする世の中です。
 
 手間の「手」は労力、「間」は時間を意味するそうです。手間とは「労力」×「時間」なのですね。物理の考え方をすれば、エネルギーの概念に近いことだと思います。手間をかけるとは、人のエネルギーを使うこと、手間を省くとは、人のエネルギーを使わなくて済ませること。つまり、「人のエネルギー」をどこに使って、どこに使わなくて済むようにするかの話になります。
 
 これまで工業社会の中での機械や技術は、「人のエネルギー」を暮らしの営みに費してしまわずに、より市場経済に貢献する分野に注いで、豊かな社会を築くのに貢献してきたわけです。人がやっていることの中から、機械にできることを見つけ出し、肩代わりさせることを追求し続けてきたわけです。その結果、本当に便利な快適な世の中が実現しました。
 
 だからこそ私は思います。世の中のいろんなところで、より早く走り続けるのが、人にとって苦しくなってきている中で、そろそろ、人のエネルギーを、市場経済の中に注ぐだけでなく、人間らしさの発揮、人間ならではの価値づくりのために注ぐこと、暮らしや世の中の営みの中に注ぐことを考える時に来たと。そのためのハレの区切りをつくる時ではないかと。それこそ、ヒューマンルネッサンス研究所の出番ではないかと。
 
 養老孟司さんは問いかけていました。現在の日本人は自分が食物からつくり出すエネルギーの四〇倍の外部エネルギーを消費している。これ以上、多くの外部エネルギーを消費することが豊かなことなのかと。この問題を考えるには、理屈で考えても無駄で、森の中に入ってみるのがよいのだと。今年は、少し森に入ってみようかと思います。
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