COLUMN

2014.12.01中野 善浩

理論であり、科学であり、そして物語りでもある


いまから50年前の1964年、東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開かれた。同じ年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加盟し、先進国の仲間入りを果たした。OECDは先進国の協力により、経済発展や自由貿易、途上国支援に貢献することを目的する組織であるが、その頃から科学技術政策も検討課題として扱われるようになった。ただし当時、加盟国の関心は低く、第1回会合に参加したのは4か国だけだったそうだ。にもかかわらずOECDは、天体物理学者のエーリッヒ・ヤンツを技術顧問に迎え、1967年に『技術予測』という書籍を刊行した。
科学技術の発展は、ますます大きな影響を社会に及ぼすようになる。だから、企業や政策担当者は、未来の技術を展望しておくことが重要になる。そのような意図があった。いまでこそ当然のことであるが、しかし当時は、未来の技術を予測するという発想はほとんどなかったのである。
 
 ところが、オムロンの創業者、立石一真は、OECDと同じような発想を持っていた。そして、科学と技術、社会の関係から2033年までの未来を予見し、SINIC理論として1970年に発表したのである。それはOECDの『技術予測』を読み込んだうえで、独自に構築した理論であり、その後、経営の羅針盤に位置付けられた。ちなみにSINIC理論の到達点である2033年は、オムロン創業百年の節目の年である。
 このSINIC理論は、たしかに理論である。しかし、物語りとしての側面も持っていると思う。というのは、内容は論理立てて構成されているものの、そこには思いや夢が込められているからである。合理的な理論と、感性に訴える物語りは、対立するものと言えるが、両者の統合は可能なのだろう。例えば、美しさに魅せられて数式を導き出す数学者は、思いを頼りに物語りを行い、論理に収斂させているのではないだろうか。
 
 立石一真は、SINIC理論をつくる際、ヤンツの『技術予測』を参考にしたのだが、ヤンツは後に『自己組織化する宇宙』という名著を出す。宇宙の誕生、生命の発生、さらには社会や文明を生み出していく世界を、自己組織化という観点で論じたものである。多様な自然現象とともに、一人ひとりの人間の思いまで、あらゆるものが自己組織化のプロセスのなかで影響を及ぼし合い、そこから世界の秩序が現れてくる。スケールの大きな科学であり、神秘的な物語りでもある。SINIC理論に通じる部分も少なくない。
 
 さて、物語りは話を伝える行為であると同時に、多くの人々と語り合うことでもある。つまり、一定の内容を持ったストーリーであり、声に出して語ること、ナレーションでもある。そして物語りは、多く人々との語り合いを通じて豊かになっていく。新たな気づきが得られ、具体性を高めていくこともあれば、修正が加えられることもある。もとの土台すら変更されることもある。科学にしても、パラダイム・シフトが起これば、状況は劇的に変化してしまう。淘汰される物語りがあれば、形を変えて支持を広げていく物語りもある。
 優れた物語りは人々を結びつけ、それぞれの語りを通じて、人は思いを強くし、あるいは改める。語りがかみ合えば、発展的な関係や場を生み出していく。それらは個人の思いに裏打ちされた力がある。モノから情報の時代になり、その先では情報の中身が問われてくる。中身のひとつが物語りではないだろうか。
 
参考:SINIC理論
http://www.omron.co.jp/about/corporate/vision/sinic/
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