研究員コラム

2017.08.01中間 真一

晴れのち曇り、ときどき雨

~IoT社会の、いい天気~

 先月の九州北部や東北地方の豪雨と、想定を超えた被害を目の当たりにすると、これまであまり気にしなかった、適当な、晴レ、曇リ、雨フリの循環のありがたさを改めて感じます。とは言うものの、タイトルのような天気予報が毎日続くのも実際には困りものです。

 このような前振りは、地球温暖化と異常気象の話題につながるのが常でしょうが、私はふと車中で目にした「クラウド」のニュース記事から、晴レ、曇リ、雨フリの循環と、IoT(Internet of Things)やビッグデータの話しを重ねて考え始めてしまいました。

 ところで、なぜ”クラウド(雲)”と名付けられているのでしょう?諸説あるものの、有力説はネットワーク図を昔から雲の絵で表現していたからなんだとか。日本語では、「雲をつかむような…」とか、「雲の上の…」など、「あいまいさ」や「縁遠さ」という意味が含まれていますが、2006年にグーグル社の当時CEOであったエリック・シュミット氏が、サーバーネットワークによる新たなデータサービスの構想を説明する上で使ったのが始まりだそうで、インターネット技術による自由度、オープン環境などから生まれる分散性や開放性、多様性に、その意味合いが含め込まれているのかもしれません。

 さらにもう少し、「雲」と「晴レ」や「雨フリ」の関係についても考えてみます。そもそも、雲とは「晴レ(=陽射し)」によって地表や海面から蒸発した水分が上昇し、上空で冷やされて飽和状態になり、再び半径0.001~0.01mm程度の粒として水滴に結んで大気中の上昇気流で落下せずに浮かんでいる状態です。この雲の中の粒が凝集し成長して約100~1000倍の1mm程度の大きさの滴になって再び地に落下していくのが「雨フリ」であり、それが地を潤して生命の成長と維持を助けます。

 このメカニズムを、IoTやビッグデータの世界に重ねてみます。ある予測によると、すぐそこに見え始めた2020年には、全世界のデジタルデータ量は44ZB(ゼタバイト,1ZB=1兆GB)と、この10年間で約25倍にも増加し、インターネットにつながるモノの数も、自動車等がつながることなどで急増して304億個に達するという予測もあります。これら個々のデータでは、私たちの価値となりませんし、私たちが取り扱える情報量の規模をはるかに超えています。まさに、雲の中にある無数の水滴のようなものでしょう。また、それら微細な水滴のごとき大量のデータの粒を、上空へと昇らせる仕掛けこそ、個々のデータを照らし出すお天道様のような「晴レ」、そして、上空の雲の中で結びついて社会や生活の場を潤わせる価値をまとった大きな情報の粒にまとめて、再び私たちに届ける仕掛け「雨フリ」と、見立てることができそうです。

 こうして考える時、いろいろな想像が湧き上がってきます。たとえば、子どものころに親や身近な大人たちに言われてきた「お天道様はお見通し」というセリフ。IoT社会とは、この「お天道様に見通されている社会」なのではないでしょうか。また、情報干ばつのようなことも想像します。価値ある情報の雨が途絶えてしまうと、飢餓のような生命の危機が生まれるかもしれません。雨乞いとは、未来の情報社会の中で、どんな形で現れるのでしょう?

 また一方、お天道様に見られている時には問題にしなかったのに、ネットや社会環境に埋め込まれた「お天道様」のごときセンシングデバイスに対しては、「監視」とか「プライバシー」という新たな社会問題が大きくなってきています。かつては、誰のものでもなかったお天道様に対し、IoTのお天道様は、自分に不利益を与える誰かの仕掛けかもしれないという不安や心配が増大しているのです。

 誰もが望んでいるはずの健康の維持増進のための生体情報に関するクラウドサービスでさえ、ビジネスとしての成功は難しいのが現状です。「余計なお世話だ」と感じるのでなく、「あっ、しまった。これからは気をつけよう」と、人が素直に受け入れられる価値ある情報となるためには、お天道様にはあったはずの何が欠けているのでしょう?このテーマを考えていくためには、人のココロの理解が不可欠になっていきます。IoTを活かすも殺すも人間研究なのではないでしょうか。

 また、想定外の異常気象も困りものです。カンカン照りで情報を吸い上げられ過ぎたり、土砂降りの情報を降ってきたり、太陽を隠してしまうほどの巨大な分厚い雲が現れたり、こういうことが起こらないよう、適当な「晴レのち曇リ、ときどき雨」の好循環を、情報ネットワーク社会にデザインしたいものです。それが、私たちHRIが未来ビジョンとして設定している「自律社会」のメカニズムであり、エコシステムではないかと考えます。
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