COLUMN

2006.11.01中間 真一

信頼できる?

 もし、あなたがそう問われれば、たいてい「何を?」と問い返すでしょう。あなたにとって一番身近な関係であるはずの「妻や夫、子どもたち、親を」とか「親友を」という問いかけであったら、少なくとも十中八九の「もちろん!」という即答を期待したいところです。しかし、もう少し関係先を広げて、ご近所、会社の同僚、上司、部下、学校の友人、先生、専門家や政治家は?となってくるとどうでしょう。最近の犯罪、会社内の個人成果主義、学校のいじめ問題や未履修問題などを思い浮かべると、考え込んでしまうでしょう。

 「人」への信頼だけでなく、「モノ」や「コト」への信頼はどうでしょう?身近な生活要素として衣・食・住がありますが、毎日の暮らしの拠点となる家は大丈夫でしょうか(耐震偽装や欠陥住宅事件)。毎日の食材は信頼できますか(BSEや鳥インフルエンザ)。交通システム(電車事故や航空機の整備不良)、福祉や教育や社会保障システム、政治や行政(不正発覚)、治安や防衛、日本という国は?世界平和は?地球環境は?こうして改めて考え始めると、私たちの周囲では、日増しに信頼の欠乏が進行し、その問題が顕在化してきているとしか思えません。

 では、私たちは何のために「信頼」を築こうとしているのでしょう。たとえば、ものを買う時や情報を入手する時のことを考えてみます。「これほどの会社が、お客を騙すようなことをするはずがない」とか、「毎日顔を合わせる人なのだから、私を欺くことはあり得ない」、「日本を代表する新聞が誤りを犯すわけがない」、「国のやることだから間違いない」などと考えて、最後まで残る不確実な部分の不安の穴を埋め合わせるのに使うのが「信頼」ではないでしょうか。どうやら、信頼構築のベースには「はずがない」、「あり得ない」、「わけがない」、「間違いない」という、相手に対する不安の払拭が必要なようです。決心してしまう不安や不確実さを取り払うために、信頼を必要としているのではないでしょうか。

 では、何をもとに信頼するのでしょうか。そこに登場するのが「信用」でしょう。人柄、世間の評判、会社の規模、過去の実績、いろいろあるでしょう。商取引における信用であれば、某かの担保を用意してリスク対策をとるわけですが、信頼のための信用となると、そういうわけにはいきません。時として、信頼はあっさり裏切られます。そして、信頼が裏切られずに得られる利益に比べて、裏切られた時の損失の方が常に明らかに大きいと言えないでしょうか。それなのに、私たちはこれまで信頼に無頓着にやってこられてしまったように思います。そして最近、無頓着では済まされないことがボコボコと湧き出てきて面食らっています。なぜでしょう?

 社会心理学者の山岸俊男氏は、「信頼」と「安心」を区別せよと言っています。これまで、あまりにも不確実さが少なくてやってこれた戦後日本社会で、温々と安心の湯につかってきた私たちは、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の通り、あまりにも安易に周囲を信じて頼り同調し、安心しきって、文字通りの「信頼」ではあるものの、じつは信頼を必要とする社会に生きてきたわけではなかったというわけです。私自身、確かにそういう実感があります。しかし、大きな社会の変化を迎え、低不確実性社会は終わりの時を迎えています。自律的な「信頼」を必要とする高不確実性社会の到来です。うわっ、また何か新しいことをしなくちゃいけないのかと、げんなりしてしまう気分も中年族としてはわかるのですが、ここは踏ん張りどころかもしれません。では、その自律した信頼を築くために何を踏ん張るのか。これって、小難しいことではなく、とどのつまりはウソをつかない自らの生き方ではないでしょうか。そして、信頼したい相手に自ら働きかける生き方ではないでしょうか。この2点、幼稚園や小学校の頃から言われているにもかかわらず、大人になればなるほど難しくなるのはなぜでしょうか。

 先日、いつまでも時代の流れを見過ごすわけにもいかないかと一念発起し、同世代のネット世界の旗手たる梅田望夫氏の本ならば、どうにか読めるのではと『ウェブ進化論』を読みました。とてもわかりやすく論旨への納得感がありました。そして、そこで主張されていたWeb2.0時代の社会のキーワードは、やはり「信頼」でした。私が「信頼」という言葉を使う時、それはインティメイトな人間関係から生まれるものだという感覚が強かったわけです。しかし、こういう感覚は、ネット世代以前のPC世代までの特徴だということです。ネット世代によるこれからの社会は、ネットの先に拡がる不特定で膨大な多数への信頼を基盤として社会進化が進むというのです。なるほどと思いつつも、そんなことあり得るんだろうかと悩んでいるまんまです。しかし、ここ最近の世相を見ると、変化の時代のキーワードとして、「信頼」はかなり意味ありげに映ることは確かです。自律社会のキーワードであることに、間違いないと思っています。
(中間 真一)
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