COLUMN

2011.01.17澤田 美奈子

シリーズ「人と機械の相性」#4機械らしさ、人らしさ~ジェミノイドとハムレットとスカイツリーから~

 「機械と人間の相性」をテーマに、前三回は、"使い手"としての人の議論が展開されてきたので、今回は視点を変えて"つくり手"としての人と機械、という切り口で考えてみようと思う。

 "つくり手"として気になっているのが、中間さんのコラムにもあった石黒浩氏である。見かけ上も、それに相対する際の感情面においても、世界一人間に酷似していると言われる石原氏のジェミノイド。写真で見るとギョッとするのだが、実際テレビなどで動いている姿をしばらく見ると、違和感ではなく不思議な親和性が呼び起こされる。
 改良を重ねられたジェミノイドの中でも、最も人間らしい動きをする最新型は、50個のアクチュエーターが取り付けられていると言う。そしてそのうちの13個が顔面の人工筋肉を動かすのに使われているそうだ。自然な動きの再生には、サイバネティクスの先にある「ゆらぎ」「ノイズ」といった複雑系理論が適用されている。その結果が、"人間らしさ"を再現することに貢献しているのだ。
 視線を動かす、眉をひそめる、相手のうなずきに同調する。私たちが当たり前にやっている日常動作を再現するのに、そんなに最先端デバイスと複雑な理論が駆使されている。そのことは、人間という生命体のつくりの巧妙さを逆照射する。機械に人間らしさを加えようとすればするほど、その技術的困難性や高度さが明らかになり、それは裏返って"人間讃歌"として響いてくる。

「この人間とはなんたる自然の傑作か、理性は気高く、能力はかぎりなく、姿も動きも多様をきわめ、動作は適切にして優雅、直観力はまさに天使、神さながら、この世界の美の精髄、生あるものの鑑、それが人間だ。」

 ハムレットにこういう台詞が出てくるが、人型ロボット研究を通じて研究者たちは少なからずそんな思いが去来しているのではないだろうか。


 さて、石黒氏は"動き"という点から人間らしい機械を設計するアプローチをとっているが、"意識"や"心"―人間が考えたり、感じたりする機能はどうだろうか。
 心のどの部分を再現すれば「人間らしさ」が再現されるかと考えてみると、「矛盾を内在させつつうまくやってる能力」ではないかと思う。ハムレット青年のように、理性と感情、大胆不敵さと繊細さ、といったアンヴィバレントな性質が同一人格の中に共存しているというのが人間らしさではないかと思う。
 今の機械やコンピューターは"矛盾"を処理することができないけれども、将来的にはできるようになるのだろうか?「ゆらぎ」のような複雑系理論で処理できるものなのだろうか?基本的には合理的な設計なのに亡霊を見たり、「To be or not to be」などと深刻ぶりながらも、ある局面では「Let Be」という投げやりなメッセージを出したり、そんな人間くささを持ったコンピューターが将来的に出てくる日は来るのだろうか?そんな日は来ない、とするよりは、来るかも、と考えてみるほうが知的には刺激的である。ただそんなプログラムを書こうとすると、それは非常に長く、気の遠い作業になりそうだけれども。


 機械といえば、初詣ついでにスカイツリーを見に行った。間近でてっぺんまで見上げようとするとひっくり返るぐらいの高さのタワーを眺めながら、そこで働いている大型クレーンにやたらと胸が熱くなってしまった。
 それは機械の朴訥な"機械らしさ"に対する感動、だったように思う。人間が持てない重いものを持ち上げる。人間が登れない危ない場所に行ってくれる。人間を守ってくれる。人間のために働く。人間とともに働く。人間の希望を支える。
 クレーン車は、高度な演算処理や複雑な動きをする訳でもなく、見た目も人間とは程遠い単なる重機でしかないのに、ジェミノイドよりも微笑ましく親しく頼もしく感じた。もしかしたら人と機械の相性というのは、これぐらいの関係が丁度心地いいのかもしれない。
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