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      <title>HRI</title>
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         <title>シリーズテーマ「予兆」#2『日本モデル』が未来をつくる</title>
         <description>　近頃のニュースに耳を傾けていると、「社内の公用語を英語にする」といった発表を行う日本企業が増えつつある。企業では今後、海外展開の強化や外国人採用の増加などを一層図るための土壌づくりが進められようとしている。従来、“グローバル化”というと、どちらかと言えば言葉が先行しがちの印象を抱いていたが、いよいよ本腰を入れた取り組みが活発化しつつある。ちょうど今回のコラムテーマである日常の中からの予兆として、こうした動きはこれからの国内における国際化の流れを占う一つであろう。

　また前述のニュースとともに、少し前からは“スマートグリッド”という見出しを新聞等でしばしば目にする。この言葉は、アメリカ・オバマ大統領が就任時、「グリーン・ニューディール政策」の柱として掲げたものである。環境・エネルギー関連への大規模な投資が多くのビジネスチャンスを生み出す可能性を持つことから、一躍注目を集めるようになった。そもそもスマートグリッドとは、気候変動やエネルギー危機の解決に向けて、今後普及が見込まれる再生エネルギー等も活用しながら、電力の流れを供給側・需要側の両方から制御し、最適化する送電網を一般的には意味している。

　そんなスマートグリッドに関して、先日、京都大学大学院情報学研究科・松山隆司教授の講演を聴く機会があった。松山教授は、経済産業省が推進する次世代エネルギー・社会システム実証の一地域として選ばれた京都府けいはんな学研都市での取り組みに携わる方でもある。
　その中では、一括りにスマートグリッドと言っても、アメリカ・ヨーロッパ・日本それぞれで、取り組もうとしていることが異なるという指摘があった。国や地域のエネルギー事情が様々であることを考えると、確かにそのようになるだろうと納得させられる。では、個別にどう取り組みが異なっているかというと、アメリカでは、元来、電力供給が不安定であるため、電力会社の要求に消費者が応えて電力を使用する仕組みづくりを目指す。一方、ヨーロッパでは、太陽や風力によって分散発電させた大規模な自然エネルギーを積極的に使用する仕組みづくりを目指す。そして、京都はどうかというと、消費者が使用するエネルギーの情報化を進め、その要求に対して電力提供者が既存の発電電力や自然エネルギーを割り振って応える仕組みとなるそうだ。
　ここでの決定的な違いは、アメリカモデルでは電力会社の要求が主体となって需要抑制を図る。まさにスマートグリッドという言葉そのものの送電系統の取り組み。それに対し、京都モデルでは消費者の要求が主体となって、エネルギーマネジメントの取り組みに位置付けられるという点である。京都モデルでは、たとえ電線がない地域であったとしても、電力提供を可能にする。まさに、このモデルだけが世界中のどの地域においても通用するようなシステムを目指しているという。

　最近では、今の日本の置かれている状況について、かつての欧米を目標としていた時代とはうって変わって、自らがビジョンを掲げて進んでいく必要があるという話をよく耳にする。今回のスマートグリッドの話では、ちょうどそれを実行に移すべく、アメリカやヨーロッパの追随ではなく、日本独自のモデルを生み出していこうとする動きが窺い知れる。今日の閉塞感溢れる社会の中からの脱却に向けた予兆として、多様な分野において、こうした『日本モデル』というものの誕生への期待がおのずと高まる。</description>
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         <pubDate>Thu, 15 Jul 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>◆研究員コラムをアップしました</title>
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         <pubDate>Thu, 15 Jul 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>シリーズテーマ「予兆」#1ｉ  にみる未来の予兆～ハッピーでヒューマンな自律社会へ～</title>
         <description>「幸せ」をテーマに3ヶ月間続けてきたリレーコラムはいかがでしたか？私は、この間「幸福度指標」について考え続けていました。特に、そのリスクへの心配を強くしていました。社会のグローバル化やデジタル化の一側面かもしれません。とにかく「定量化」、「数値化」、「見える化」が求められる昨今の世の中です。これらは目標と現状のギャップ、すなわち問題を明らかにするための「効率的管理」の基本です。
　しかし、「幸せ」も同様に「管理問題」として解決を図ればよいのでしょうか？すべきでしょうか？そんなことを考えていたら、新政権からは「最小不幸社会」の実現が打ち出されました。やはり「測る」対象、コントロール可能な幸せ発想です。そこで、私は当面「測れない価値」という発想から、未来への予兆を見つけてみようと決めました。一つのモノサシを当てて測れるものなんて、豊かな未来可能性のごくごく一部でしかないわけですから。

　そんなこともあって、次のテーマは「予兆」です。私たちの研究対象である「未来」は不確実です。しかし、未来を洞察すべくグッと、ジッと目を凝らすと、日常の中からも「予兆」が見つかります。予兆探しを楽しめる人、考現学センスのいい人、突飛過ぎず陳腐でもなく、いい塩梅で予兆と未来をつなぐ人、HRIの研究員はかなりそういう人たちです。きっと、同じモノサシでは測れない、おもしろく、それらしく、意外だったり、考えさせられたりする予兆を紹介してくれるでしょう。

　と、お題を投げて終えるつもりでしたが、少し私もつぶやいてみます。

　iPad人気は上々のようです。私も使ってみたいのですが、まだ手に入れていないので、iPad自体から予兆を見つけることができません。しかし、iBook,iPodなどアップル社の&quot;ｉ&quot;シリーズをはじめ、私は世の中の&quot;ｉ&quot;の増殖が気になっています。

　時代を遡ること60年代から70年代の高度経済成長社会、私たちの親世代の欲望トレンドは、「Our（私たちの）からMy（私の）へ」だったのではないでしょうか。生まれ故郷を後にして大都市でサラリーマン生活を始めた巨大な一群が、第二の我がふるさとを欲し「マイタウン」、我が家を欲し「マイホーム」、そして我が移動手段「マイカー」を欲しました。これらの&quot;My&quot;は、それ以前のムラやイエの&quot;Our&quot;の縛りから逃れるべく欲したものと見えます。これらを「戦後昭和の３マイ欲」と呼んでおきます。しかし、これらの、まち、家、自動車、ついでに電話を加えても、&quot;Our&quot;のダウンサイジング程度の&quot;My&quot;でした。そして70年代から80年代、この&quot;My&quot;モードは所有だけでなく、&quot;ミーイズム&quot;と名付けられた自己チュー化に進展しています。たぶん、団塊世代から新人類世代のみなさんまでは、少なからずこんな&quot;Our&quot;,&quot;My&quot;,&quot;Me&quot;という「一人称単数化」と「所有から目的への私」の流れの中で人生前半を生きてきましたね。自分を振り返るとそんな感じです。

　そして、21世紀が近づいてくると、この&quot;My&quot;や&quot;Me&quot;のトレンドは、より個別性を強調する&quot;Personal&quot;（個）に向かっていきました。「パソコン」、「ポケベル」、「携帯電話」が普及し、仕事やコミュニケーションの作法が急変します。「コンビニ」によって生活消費のスタイルも、よりパーソナルになりました。さらに、ウォークマンに代表される携帯AV機器によって、ミニコンポやラジカセ時代より一層「マイソング」化が進み、好みや趣味のパーソナル化も加速されました。
　そして最近、巷でやたらと目につくようになったのが&quot;ｉ&quot;ではないでしょうか。この&quot;ｉ&quot;は、「私」だけでなくインターネットだったりインテリジェントだったりもしますが、アップル社の&quot;ｉ&quot;商品シリーズ、docomoのi-mode、三菱自動車のi-mievやトヨタのi-swingといったパーソナルモビリティ、これらは明らかに「超パーソナル化」に向かう、社会の「&quot;ｉ&quot;（私自身)」化の予兆のように見えるのです。

　このような&quot;ｉ&quot;化の先にある社会はどんなものなのでしょう。さらに、&quot;Cell&quot;や&quot;Gene&quot;を意識した世の中に進むのでしょうか？そんな時、私はあるSFアニメ映画を思い出しました。29世紀、人間は汚染され尽くした地球を捨てて宇宙船内に住まうという舞台設定のディズニー映画「WALL・E」です。ご覧になった方、どうでしょう？完全にコントロールされたビークル上で人間らしさなど微塵も感じられない毎日を送る未来生活は、私には29世紀のモダン・タイムスのように見えました。さらには、快適生活追求の果てに「パーフェクト・コクーン生活」みたいなカプセル内でじっと一生を過ごす姿まで想像してしまいます。

　こんな未来、こんな便利で快適な未来を、私たちは望んでいるのでしょうか？いや、そんなことはないはずです。WALL・Eたちは&quot;ｉ&quot;ではなく「愛」の価値に途中で気づきます。私たちも急速に進む&quot;ｉ&quot;化一直線の未来から、舵取りする必要がありそうです。私は、それは”You”(あなた、あなたたち)の発想かもしれません。これまたYoutubeなど、そこここに&quot;You&quot;化の予兆が見つかります。&quot;You and I&quot;の未来、友も愛も数値化困難なものですが、ハッピーでヒューマンな自律社会には不可欠だと思います。センシング＆コントロールのオムロングループの未来研究組織だからこそ、そんな予兆を嗅ぎ取り、生み出し、提案し続けられればと思っています。
（つぶやきどころではなくなりました。深謝）</description>
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         <pubDate>Fri, 02 Jul 2010 19:06:02 +0900</pubDate>
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         <title>★システムトラブルのため更新が遅れたことをお詫びします</title>
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         <pubDate>Fri, 02 Jul 2010 19:00:29 +0900</pubDate>
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         <title>◆研究員コラムをアップしました</title>
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         <pubDate>Fri, 02 Jul 2010 18:53:48 +0900</pubDate>
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         <title>シリーズテーマ「幸せ」#6ポーズから始めてみよう</title>
         <description><![CDATA[　「とどのつまり、幸福は楽観姿勢であり、前向きの意志である。」と、前回のコラムで中野さんは指摘している。この文脈での「姿勢」とは態度やこころの構えを指すが、「からだの構え」というフィジカルな意味でも｢姿勢｣は幸せに大きく影響しているファクターだと考えられる。
　国、地域、家族、働きかた、福祉、こころ―といったさまざまな観点からの「幸福論」が出たところで、今回は「からだ」という切り口で幸せとのつながりについて考えてみたい。

＊＊＊

　からだの姿勢、で思い出すのは、以前旅先でカメラ撮影をお願いしたときのことだ。　たまたま近くにいてシャッターを切ってくれた男性は、「ハイチーズ」ではなく、「ハイハイ、みなさんもっと胸を張ってくださーい！」という掛け声をかけた。変わったアドバイスをくれた彼は生まれも育ちもエジプトで、そんな彼からすると、日本人は顔映りはやたら気にするけれど、カラダの姿勢には無頓着な人が多いのが気になると言う。「姿勢がきれいじゃないと、幸せそうに見えませんよ」。
　「幸せそうに見えるかどうか」という視点で姿勢を意識したことはなかったが、言われてみればごもっともな指摘である。

　見かけ上の幸せだけでなく、姿勢は人間の内面にも大きく影響している。
　からだとこころの関係についての研究は古くからある。例えば心理学者のジェームズとランゲが残した『悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ』という説などはその一つだ。身体反応が起こってから感情が経験されるという、常識的な感覚を覆す主張として議論を呼んだ。その後も多くの研究から、からだの状態とこころの状態の緊密な関係が明らかにされてきている。

　認知科学の分野で最近発表された論文によると、姿勢を上向きにすると「幸せ」なこころが呼び起こされるそうである（<a href=http://wiredvision.jp/news/201005/2010050723.html>参照記事</a>）。
　実験では参加者に、テーブルの上のおはじきを移動させる作業をしてもらう。すると、おはじきを上の方向に動かすときは、参加者は、楽しかった記憶について多く思い出し、下に動かしているときは、悲しい記憶を多く思い出す。そんな傾向が発見された。おはじきを上に動かすときには姿勢も自然と上向きになる、その「姿勢」が幸せな記憶とむすびついているのではないか、という考察がなされている。

　姿勢が上向きになるとき――褒められる、ぐっすり眠れてよく晴れた日の朝、お気に入りの洋服を着て出かける、大自然の中で深呼吸などなど――確かにポジティブな記憶と結びついていることが多い。反対に、疲れている、悩みがある、仕事がたまっている――などのネガティブスイッチが入っているときは、自然とからだもうつむきがちになる。
　
　そう考えると、からだはこころを実に正直に表現するメディアであることに気付かされる。ときにはそんなからだとこころのシンプルな関係を、逆手にとってみるのはどうだろう。姿勢を正すと精神も正される、それが座禅という修行の真髄である。和服を着るのは苦しいが背筋が伸びるので、古きよき日本女性は現代女性にはないしとやかさがある。『上を向いて歩こう』はなぜか海外にも広く知られている日本の名曲だが、そんな日本人の“ポーズ”をあえてとってみることから、幸せを始めてみるのも良いのではないだろうか。]]></description>
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         <pubDate>Tue, 15 Jun 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>◆研究員コラムをアップしました</title>
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         <pubDate>Tue, 15 Jun 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>シリーズテーマ「幸せ」#5希望という名のあなた</title>
         <description>　途上国のスラムを何度か訪れたことがある。住民たちはゴミのなかのバラックに住み、ときにゴミをあさり、日雇い仕事でわずかな収入を得ながら細々と暮らしている。その暮らしぶりは、日本人からすると、不幸な状態だと見ることができる。そして、いっぽうスラムの住民には、日本の暮らしは幸福そのものと映るだろう。
　ところがスラムのなかにも、日本人より幸福だと見える人たちは存在するのである。すべての人がそうだと言えないが、彼らは、初対面の人間をも歓待してくれる。人を思いやる気持ちがある。そして何より強い希望も持っていた。その希望が、ある種の幸福感をもたらしていたのだと思う。

　東南アジアの某スラムの住民たちは、地方政府から立ち退きを要求されていた。しかし彼ら政府と交渉し、代替地を要求し、新たなコミュニティをつくるための運動を粘り強く行っていた。たまたま住民集会に顔を出す機会があった。言葉の壁があり、話の内容はまったくわからなかったが、ひしひしと希望と期待感が伝わってきた。みな表情が明るく、高揚感に満ちていた（ちなみに、参加者の大部分が中年女性で、男性は少なかった。国を問わず、とかく男は諦めがちであるようだ）。

　基礎的物資が満たされると、何を追求し、何を幸福と思うかは、個人で大きく異なってくる。そして物質的に満たされずとも、幸福感が得られることもある。幸福のとらえかたは百人百様であるが、将来の見方が大きく関わっているのだと思う。
　いまの平穏さを今後も維持できる。現在より良くなってゆく。窮地にあっても、問題解決の糸口をつかめている。このような希望を持つことができれば、スラムの人たちのように、それなりの幸福を感じることはできるのだろう。とどのつまり、幸福は楽観姿勢であり、前向きの意志である。フランスの哲学者アランは『幸福論』のなかで「悲観主義は気分であり、楽観主義は意志だ」と論じている。

　ところで、人間が生きる時間は限られており、やがて死を迎え、その時点で将来への希望はなくなってしまう。天国を信じていれば、臨終の際にも楽観姿勢でいられるだろう。ただし、多くの人の場合、残された家族や親しい人たちに希望を託すのではないだろうか。自分がいなくなったとしても、残された者が仲良く、幸福に暮らしてほしい。そのことが楽観できれば、心おきなく天寿を全うできる。逆に、往年いくら豊かであったとしても、希望を託す人がいなければ、最後の最後で、幸福ではいられない。最近、近親者が亡くなった。残された家族の幸福を希望して、安らかに息を引き取った。
　前回コラムでも指摘があったように、家族関係が幸福に影響を及ぼす最重要要因のひとつであることは、多くの調査で明らかにされている。大切な人と触れ合えること、理屈抜きで安らげること、子供の成長を見守ること。いろいろな幸福を家族から得ることができるが、次の世代に希望を託せることも、家族がもたらす幸福のひとつだと思う。

　日本では非婚化が進んでいる。人口が減っているにも関わらず、単身世帯は増えている。家族は縮小傾向にあり、このままでは日本全体としての幸福感は低下してゆく。女性が働きやすい環境整備などをさらに進めることで、結婚し、家族を持つ人を増やせるだろうか。その可能性は小さそうだ。社会はとても便利になり、一人暮らしは気軽である。いっぽうで、ずっと晩年も悠々とした一人暮らしを続けてゆくことができるのか。こちらの可能性も小さそうだ。
　家族ではなく、希望という名のあなたを訪ねてゆく。ともに暮らすパートナーという関係は増えてゆくだろう。
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         <pubDate>Tue, 01 Jun 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>◆研究員コラムをアップしました</title>
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         <pubDate>Tue, 01 Jun 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>シリーズテーマ「幸せ」#4幸せを見つめ直す動き</title>
         <description>　「ギブアンドテイク」という言葉があるように、すぐに何かしらの見返りを求めるのではなく、まず相手に与えて尽くす。すると、必ずしも同じ相手からではないにせよ、回りまわっていずれ自分にも恩恵が巡ってくる。結果、お互いの幸せにつながっていく。前回のコラム“『幸福な王子』にみる幸せのカタチ”で触れられている、「幸福感は人から人へと伝染していく」とは、このような心掛けの連鎖によっても実現されていくであろう。

　先日5/3付けの日本経済新聞を見ていると、“研究進む『幸福の経済学』”との見出しが目に留まった。その数日前には、内閣府から国民生活選好度調査の結果として、日本人の幸福度は10点満点で6.5ポイントと発表されている。記事では、幸福度への関心はフランスなどの他国でも高いという。欧州28ヵ国平均となると、2008年調べでは日本より高い6.9ポイントだそうだ。
　そんな幸福度について、これまでは曖昧な指標と見なされがちであった。しかし最近では、経済政策の成果を測る指標としても有効であると、経済学者の間でも意見が一致してきているという。それは健康・教育・個人活動・環境など客観的な条件が、私たちの幸福度を左右することによる。幸せの感じ方は人それぞれ千差万別であるとはいえ、確かに何かしらそうした要因に辿り着くはずである。今後、GDPや失業率などの指標とは異なる、人々の満足や幸せ度合いの指標化が、物事を捉える新たな物差しとなりうるだろう。ただ、政策目標として幸福度がすべてということにはならず、客観と主観の両指標をいかに上手く活用できるか知恵の働かせどころにはなる。

　４月下旬、京都では『京都の未来を考える懇話会』という30年ビジョンを検討する会が立ち上がり、初会合の場が持たれた。京都の各界を代表するメンバーが、未来について、現在の延長線上ではなく、30年先から今に立ち返って考える。私も事務局スタッフの一員として担当することになったが、オール京都で、皆が一緒に目指していきたいと思える京都の未来像を語り合い、熟成させていくことを趣旨に掲げる検討の場だ。
　議論では、京都ならではの“地域モデル”の必要性が説かれるとともに、生活の質など、どう良くありたいかという“クオリティ”を考えていくことが確認された。さらに、それに伴って京都独自にこれまでとは違った目指すべき指標を設けてはどうか、といった提起もなされようとしている。これはちょうど、前述の幸福度にみられる政策目標に関する話と重なる。「住み良い地域とは」、「誇れる地域とは」――。人々の幸せにまつわるこれからの地域のあり方に向けた議論に期待がかかる。

　幸福への足掛かりを見い出し、政策等に活かすことができないだろうかという、こうした議論が散見されるようになってきている。以前、目にしたニュース番組では、街行く人々に「あなたにとっての幸せとは？」と訊ねる様子が伝えられていた。多くのコメントからの共通項として、「人から必要とされる実感」、「家族・友人・コミュニティの価値の認識」が浮かび上がるそうだ。幸せに対する意識が高まる中、最初に触れた、まず“誰かに与えて尽くす”という心持ちで人に接することができれば、身近なところから世の中は和やかになり、そして幸福感が溢れてくるのではないだろうか。
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         <pubDate>Sat, 15 May 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>◆研究員コラムをアップしました</title>
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         <pubDate>Sat, 15 May 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>シリーズテーマ「幸せ」#3『幸福な王子』にみる幸せのカタチ</title>
         <description>　『シンデレラ』と『幸福な王子』。不幸な境遇でありながらも、生来の美しさと魔法使いのおかげで王子と結婚し幸せに暮らしたシンデレラ。病気や貧困に苦しむ市民に身を捧げることで身は滅びるが幸せを得る幸福な王子。前回コラムの、遺伝要因・環境要因・自発的にコントロールできる要因の３つで幸福度を説明する「幸福の方程式」の話から、ふとこの２つの童話を思い浮かべた。さしずめシンデレラは遺伝・環境中心、幸福な王子は自発的な行動中心、といったところだろうか。

　さて、先日聞いた日本理化学工業㈱大山泰弘会長の講演のなかに、「幸せ」に関連するエピソードがあった。
　チョーク製造でシェア№１の同社は、社員の70％が知的障害者という点でも有名だ。しかし、障害者を雇いはじめた当初は、障害者が楽しそうに工場に通ってくることが不思議だったという。わざわざ働かなくても、福祉施設で暮らしたほうが幸せなのではないかと思っていたからだ。そんな折に禅僧に会う機会があり、その疑問を口にしたところ、思いがけず「幸せとは、①人に愛されること、②人に誉められること、③人の役に立つこと、④人に必要とされること。仕事によって②③④が得られるのです」という答えが返ってきた。大山会長はその言葉に深く納得し、働くことは幸せを求めることであり、企業は社員が幸せを求める場でもあると考えるようになったという。

　この「幸せを得る４つのポイント」には、姿勢や行動などに対してプラスのフィードバックを得ること、人から自分の存在を認められること、という共通点がある。さらに、プラスのフィードバックをもらうような行動は、きっと相手に楽しさや喜び、幸せを感じてもらえることでもあろう。人を幸せにする行動を通じて自分も幸せになるのかもしれない。
　また、「愛する」「誉める」「感謝する」「頼る」ことで誰もが人を幸せにすることができる、ということも示唆されている。私たちの言葉や態度が、人を幸せにすることができる。それ自体とても楽しい気分にさせてくれるばかりか、幸福感の伝染力を感じさせてくれる。表彰や顕彰を受けた人が、周囲への感謝を口にするのはよく見られる光景だ。誰かを誉めると誉められた人が誰かに感謝をし、また感謝された人が誰かに感謝する―こうして、幸福感は人から人へ伝染していくのだ。

　『幸福な王子』では、王子は苦境にある市民に宝石や金箔を役立ててもらうことで幸せを感じる。宝石を手にした市民はそれを使うことで幸せを得るだけでなく、自分のことを気にかけている存在に気づく幸せも得る。ツバメは王子の手足や目として必要とされることで幸せを感じる。さらに、宝石を得た市民は感謝の気持ちを広げ、宝石のおかげで仕事に打ち込んで役に立ったり評価されたりという結果を残しただろう。
　子どものころは、幸福な王子よりシンデレラのほうが断然幸せだと思ったものだ。それが、だんだんと幸福な王子の「幸せ」を理解し共感できるようになった。もちろん、シンデレラの「結婚＝幸せ」が信じられなくなったからではありません。念のため。

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         <pubDate>Sat, 01 May 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>◆研究員コラムをアップしました</title>
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         <pubDate>Sat, 01 May 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>シリーズテーマ「幸せ」#2幸せの方程式</title>
         <description>　GAH（Gross Arakawa Happiness：荒川区民総幸福度）。－前回のコラムで中間さんが取り上げた荒川区の取組みに関心を持ち、区のサイトを訪れてみました。荒川区では、「真の豊かさにつながる区民の幸福度の向上こそが区政の役割である」という考え方のもとに、GAHを区政の尺度として取り入れようと、調査・研究を進めているのだそうです。区の世論調査にも、「GAH」に関連する項目として「幸福度」や「生きがい」「地域とのつながり」「安心・安全」「健康」などが盛り込まれています。行政の活動の焦点を「幸福度」に置き、漠然とした概念としてではなく、具体的な施策に反映させていこうという積極的な姿勢に、これからの取組みへの期待が高まります。

　　「幸せ」をもたらす「社会」のあり方が模索される一方、心理学の領域では、長く「個人」の視点からの幸福感の研究が行われてきました。そのひとつに、セリグマンらが提唱した「幸福の方程式」があります。
　　　　H＝S＋C＋V
　　　　[持続的な幸福度＝遺伝的要因＋環境要因＋自発的にコントロールできる要因]

　H (Enduring Happiness：持続的な幸福度)とは、刹那的な満足感ではなく、長期にわたって持続する幸福度を指すものです。セリグマンらは、持続的な幸福度はS・C・Vの3つの要因から成ると考えました。S（Biological Set Point）は、個人が生まれ持って備えている遺伝的要因を、C（Conditions in Your Life）は、性別や職業、経済状態、健康状態、婚姻状態等、現在置かれている環境的な要因を指すものです。そして、それぞれが持続的な幸福度に寄与する割合はSが50%、Cが10%とされています。では、残りの40%は何なのか･･･？というと、V（Voluntary Activities）－自発的にコントロールできる要因であるといいます。過去の出来事をどのように捉えて、どんな未来を思い描くか、周囲とどのように関わっていくのか－そんな、「姿勢」のあり方を指していると言えそうです。

　いかがでしょうか、S・V・Cそれぞれに割り当てられた数字を、大きいと感じるでしょうか、小さいと感じるでしょうか。

　セリグマンは「ポジティブ心理学」を提唱し、楽観主義的な考え方のもつ可能性を説いた心理学者ですから、ここでも、人生の中で自分の力ではどうすることもできない要因（SやC）に対して、自発的にコントロールできる要因（V）に目を向けることの大切さが強調されています。しかし、もちろん、これは「幸せ」をもたらす「社会」のあり方を考え、C（環境要因）の向上を目指そうとする動きを過小評価するものではありません。一人ひとりが前向きに、自律的に「幸せ」に向かおうとする姿勢と、社会全体でそれを支え合う取組みの相互作用によってはじめて、確かな「幸せ」を手にすることができるのではないでしょうか。
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         <pubDate>Thu, 15 Apr 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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         <title>◆研究員コラムをアップしました</title>
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         <pubDate>Thu, 15 Apr 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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