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てら子屋コラム

【Vol.2】異界の夏
沖縄・珊瑚舎スコーレ 盛口 満
 ヤーヤドー
 耳の奥でその声が聴こえる。
 地を響かすタイコともの悲しい笛の音。
 浮かびあがる女性の幽霊の絵を描いた山車。
 人々の黒いシルエットの影に半ば隠れて立つ僕の姿。
 母の実家、弘前で幾度か過ごした夏の日。
 小学六年生を最後にねぶた祭りを見に行ったことはない。
 それでも以来三十年。耳をすませばその声が聴こえる。
 ヤーヤドー

 千葉の海辺で、親戚もおらず、一家四人だけで過ごしていた僕にとって、津軽の盆は異界だった。
 黒い仏壇。飾られた古い白黒の写真。ひんやりとした寝所の空間からして異界そのものだった。
 なじみの薄いイトコたちも含め、周囲は皆、津軽弁を話す。母でさえ弘前では津軽弁を口にし、僕は母が別人になってしまったかのように怖れた。
 ナスやキュウリにハシを刺し、馬を作り仏壇にそなえる。夕刻になれば、家の門口に迎え火をたたいた。重箱を持ち、墓に行った覚えもかすかにある。普段、生者の中でしか暮らしていない僕にとって、この突然の死者たちとの邂逅はなじめるものではなかった。
 死者の国。
 津軽はようよう足を踏み入れられぬ地として、僕の中にある。

 てら子屋の夏のキャンプに参加するため、沖縄から東京へ向かう。
 終電近くの山手線は、週末ということもあって人々であふれていた。聞くともなしに、人々の会話が耳に入る。ふと、自分は異界にいる、と感じた。いや、彼らから見れば、僕の方が異人であろう。
 よれよれのTシャツにシミのついた作業ズボン。大きな荷の中には骨やら無視やらが入っている。タイ産の食用サソリのカンヅメさえ放り込まれている。沖縄にいる時は気にしないのだが、こうして時々上京する度に、身のおきどころのなさを感じる。それが今回、異界という言葉に置き換わった。

 翌日。群馬の山中へ。
 スギとサワグルミの木立に囲まれた小屋で、子どもたちが待っていた。
 あいにくの雨天にもかかわらず、晴れ間をぬって森を歩く。
 「これ冬虫夏草?」
 歩き始めてしばらく。一人の男の子がそう言うので驚く。
 冬虫夏草は虫を倒し、その骸から生えるキノコ。彼が見つけたのは、岩場にはりついたクモの死体から、わずか一センチほどの白いキノコが出ているというものだった。
 「よく気がついたな。おまえ、何て名前?」
 「ユーダイだよ」
 その名を聞いてまた思いだす。
 二年前のキャンプ。水場近くで偶然冬虫夏草を見つけた子がいたっけ。それがユーダイだった。
 「おまえ、あのユーダイ?」
 まじまじと見てしまう。当時二年生のユーダイは体も小さくまるっきり落ち着きがなかった。しょっ中キャンプリーダーに怒られていた記憶がある。目の前の少年とその記憶の中の少年はまるで別人だ。ところが彼は、あの夏のささいな出会いを引き継いでいた。引き継いでいたどころではない。この後、つづけざまに彼は冬虫夏草を見つけ、僕はあっけにとられた。
 「ねぇ、冬虫夏草っておいしいんでしょ。食べてみようよ」
 ユーダイはそんなことも言いだした。キャンプ最終日、トリの出し汁をベースに小っちゃなキノコの入った椀が夕食の子どもたちの間を巡った。

 キャンプが終り、バスに乗った子どもたちと別の車で東京へ戻る。
 高速道路のパーキング。人ごみにもまれ、また違和感にさいなまれる。そんな中、先行していたバスに乗っていた子どもたちの姿がパーキングにあった。
 その一団だけ違ったオーラを確かに発していた。
 子どもたちは、それとは気づいていないだろうが、あの守小屋のキャンプは異界旅行なのだ。そして都会の人ごみの中でもまだ、鱗光のようにそこでの体験が光っている。たとえ日が経ち日常のくらしに埋没したとしても、どこかに何かはきっと残る。

 異界はすぐ隣にもそっとある。大人になった僕はそう思えるようになった。そう思える根底に津軽の地とその地に僕を引っぱっていった母がある。
 津軽の地はまだまだ遠いが、今では以前よりあの声はなつかしい。
 ヤーヤドー
 母はこの夏もその声のする地へ一人旅立っている。

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