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【Vol.1】沖縄の春 |
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沖縄・珊瑚舎スコーレ 盛口 満
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生まれ育つということは、その土地の自然を体に染み込ませるということ。
沖縄に移り住んで5年目になっても、「春」がよくわからないでいる僕は、最近よくそう思う。
夏と思われがちの沖縄にも冬はちゃんとある。北風が吹き、長い間Tシャツぐらしをしていた人々は、いそいそとオシャレをはじめる。沖縄に住み始めた当初はその様を笑ってばかりいた。
「長ソデはともかく、コートやマフラーなんて」と。
ところが年を重ねるうち、ついに我が家にコタツが登場するようになり、この冬は丸々1ヶ月以上もそれが鎮座ましますようになってしまった。だから僕も沖縄の冬はわかる。
ところが春だ。
春とはいったいいつからはじまるものだろう。
本土にいた頃、ヤマアカガエルの卵塊を見つけて真っ先に春を感じ、フキノトウを摘んで舌先にも春を呼びよせてゆく。サクラ開花を皮切りに、日々色どりを変える雑木林を横目でにらんで通学しながら、あふれでるかのように湧きたつ虫たちとたわむれた。
それが今もって僕の春。
しかし、沖縄には沖縄ならではの春があるはずだ。沖縄の中でも那覇市の中心街に部屋を借りているものだから、うかうかすると今年もわからないうちに春をやりすごしてしまいそう。今年ばかりは春を気にしてみることにした。
2月中旬。
「きのうの夕方、となりの公園のサクラにオオコウモリがいっぱいいたよ。」
キカがそんな話をしてくれたのは、サクラ前線のさきがけ、カンヒザクラが満開になった頃だった。
僕は珊瑚舎スコーレという小さな学校の講師をしている。キカはその学校の高等部3年生だ。
カンヒザクラはサクラといっても、ソメイヨシノとはだいぶ趣が違う。色も濃いし、ハラハラと花びらの散る風情もない。どこかサクラというよりモモの花に似ている。ちなみに沖縄では元来花見の習慣はないので、学校のとなりの公園でサクラが満開になっても、夜桜見物の宴でにぎわうこともない。それにしても、サクラの木にオオコウモリが来るなんて僕も知らなかった。もう少しキカに様子を聞いてみる。
「サクラにしかとまんなかったよ。枝をしならせてたけど遊んでたの?」
「遊んでるわけじゃないよ。多分、花の蜜を吸うか、花自体を食べてるんだと思うよ。」
「えーっオオコウモリって草食なんだ!」
キカと話をするうちに、これはゼヒ、自分の目で確かめねばと思い立つ。
夕暮れ。
公園の川沿いに植えられたサクラを見上げていたら、カラス大の黒いシルエットが上空を横切った。オオコウモリだ。
オオコウモリが木にとまる。近寄っても恐れる様子はない。街燈の灯の下。僕からわずか3メートルほどのところにあるサクラの枝をしならせて、オオコウモリがぶら下がっている。そしてオオコウモリは翼のカギヅメを別の枝にひっかけ、頭を花に近寄せた。しばらく観察したが、花自体を食べている様子はない。花の蜜を吸っているのだ。そんなもので腹の足しになるのだろうかと心配だが、オオコウモリは熱心だ。
川沿いにサクラを見てゆくと、都合3頭のオオコウモリが花に来ていた。花見をする人は見かけなかったが、そのオオコウモリのぶら下がる木の下を、何人もの人がウォーキングしている。オオコウモリは人に無関心。そしてウォーキングする人もまた、オオコウモリにはまったく気づいていない。それはなんだかとっても不思議な光景だった。
これが沖縄の春。
そう思い、このヒトコマを頭にきざむ。
休日。街を離れ野に出てみる。
沖縄南部の農村地帯。
人家近くのサクラには、ジャコウアゲハが盛んに吸蜜にやって来ている。メジロの姿も時おり見る。
人家の裏山は本土の雑木林と様相を異にして、石灰岩地を好むガジュマルやクスノキの仲間の木が多い。その林を抜けて、一段高い丘上に広がる畑地に出た。その畑の脇に荒れ地がある。そこでみつけたのは野生化したプチトマトの大群落だった。
「ハハァ、これが沖縄の春の摘み草か・・・」
一人ごちながら、袋にノラトマトの実を摘みとってゆく。フキノトウのミソ汁のかわりに、その晩はトマトパスタが食卓にのぼった。
サクラにオオコウモリ。ノラトマトの実。
沖縄の春探しが、本土と違うといってもこれはやはり、ちょっとイレギュラーすぎるんじゃなかろうか。そう思いはしたけれど。
2月下旬。
南部の小学校の先生や生徒たちを引率して、春の山登りにヤンバルと呼ばれる北部へ向かう機会ができる。
「虫いないかなー」
小学2年生の男の子たちは、バスから降りるなりそんなことを言う。
まっ先に目に飛び込んできたのは、林庄のセイタカスズムシソウの青い花々。その花の上をコノハチョウが飛びすさる。
「ここに虫がいるよ」
コノハチョウを見送ってすぐ、低木の葉上で一匹の虫を僕がみつけた。
真っ赤な色が美しい。手にしたその虫は、小さなアゴで僕の指にかみついた。アマミアカハネハナカミキリだ。
「ここにも同じ虫いるよ」
しばらく歩いた先で、今度はとある子どもが指を指す。低木の葉上に、やはり赤い虫が止まっていた。
「これはね、さっきと違う虫なんだよ。」
僕は子どもの見つけた虫を見て、嬉しくなる。
彼が見つけたのはベニボタルの仲間だ。
「ヤンバルの春はね、“赤い虫”が見つかりますよ」
沖縄在住暦の長い、虫に詳しい友人がかつて僕にそう教えてくれたことがある。たてつづけに赤い虫を見たことで、その言葉を思い返す。
ベニボタルは、敵に襲われると体からいやな臭いの液をだす。彼らの赤い体色は、「マズイぞ」という宣伝をしているものなのだ。そしてベニボタルにはよく似た虫がいるのは、ちゃっかりその宣伝を借り受けているわけだ。
本土の春にも赤い虫はいる。
ベニボタルと、それとよく似たアカハネムシやコメツキムシの仲間だ。虫の種類は違っていても、“赤い虫セット”は本土にも沖縄にも存在している。
「これ何?」
小2軍団の中でも、最も虫パワーを発揮していたマサキが、地面に転がっていた“もの”を発見した。
手にしたそれはクスサンというガのマユ。すでに成虫が羽化した空マユだ。丈夫な糸であまれたそれは、あみ目が大きくスケスケなので、本土ではスカシダワラの異名もある。かつて僕の住んでいた埼玉の家の隣にはクリ林があって、その枝でこのクスサンのマユをよく見かけたものだった。沖縄にはクリの木はないので、クスサンはエゴノキを食草としている。
「ナナフシがいたよー」
女の子も負けてはいない。見つけたのはアマミナナフシの幼虫だ。種類は違うが、本土の春の雑木林でもナナフシの幼虫はおなじみのもの。
「これソーロンメイシーと言っていましたよ」
これを見ていたとある年配の先生がそう教えてくれた。
「ソーロンメイシー?」
「精霊のハシっていう意味ですよ」
棒状のナナフシに、あるうす気味悪さを覚えたのだろう。かつて沖縄の人々はナナフシにそんな名を与えた。そしてこの虫にそんな名があるのは、人々の身近にいた虫である証。
ヤンバルの山を登りながら、こんなふうに虫と出会って、思ったことがある。
これが本当の沖縄の春だ、と。
種類やくらしぶりこそ違え、本土の春の虫たちと共通することがいくつも見つかる。
那覇にくらし、南部の農村部に時おりでかけてゆくだけでは、本来の沖縄の春はなかなかわからなくなっている。それは沖縄戦による焼土の歴史と、本土復帰以降のすさまじい土地改良や開発をへて、今の南部はあるからだ。
「私らが小さい頃、中部や南部ではサクラ植えていなかったよ」
別の年配の先生がそんなことを言った。
サクラにオオコウモリというのは、「今」という時代を反映したものであったのだ。
山頂で昼食をとり、再び駐車場まで戻った際、道脇の低木に目が留まった。
「これがタラノキですよ」
「へー、これがそうですか」
沖縄の人々にとって、タラノキは馴じみがなく、食草に摘まれることもない。
「沖縄にワラビってあります?」
「少ないですけど、ありますよ」
「じゃあツクシは?」
「うーん、どうでしょう。見たことないですね」
答えにつまった。
共通するもの。異にするもの。
それを思う。そしてその両者をきちんと見とることこそ大事、と。
小学校の教科書を開けば、おそらく「本土の春」のある(・・)典型が、そこには載せられているはずだ。この土地の春は、典型とある(・・)共通項を持ちつつも、別項は必ずそこにある。そしてそれは「本土」とひとくくりにされる土地の中でもおそらくそうだ。
情報を通じて「典型の春」が広まってゆく。
時代の中で「沖縄の春」も変わりつつある。
その中に、本当の春はうずもれている。
帰りのバスの中で、マサキが一匹のハチをつかまえて手渡してくれた。
一目見て「欲しい」と彼に言う。
ミツバチに似ているが、触角がえらく長い。
オキナワヒゲナガハナバチのオスバチ。それは初めて手にとる虫だった。
僕の子ども時代は虫と共にあった。その頃、春に出てくるニッポンヒゲナガハナバチが大好きだった。沖縄の種類とよく似たこのハチは、レンゲ畑の常連だった。
沖縄でレンゲを見たことは一度しかない。それでも同じようにヒゲの長いハチは住んでいる。沖縄の春をまだ僕はひとことでは言えない。そう言えるようになるまで、どれくらい春を重ねればいいのだろうか。それとも少年時代という繰り返せぬ時間を持てぬかぎり、それは不可能なことなのだろうか。
こもごもの思いを抱いた僕を乗せて、バスは那覇へとひた走る。
「弟子にして下さい」
解散地点の少し手前。虫好きのマサキが目を輝かせてそう言った。その一言はとても嬉しい。
でもマサキ。今の君こそ宝物の時間の中にある。その目と手と口で、沖縄の春を感じて欲しい。そう思うのだ。
夕暮れの南部。サトウキビ畑の中にある駐車場にバスは停まった。
「虫いたよ」
マサキはここでも時を惜しむかのように虫を捜していた。彼の手の中には、沖縄で最も普通に見られる、ダンダラテントウの姿があった。 |
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