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骨の学校3−コン・ティキ号の魚たち−
盛口 満 (木魂社)
1,700円
骨の学校3−コン・ティキ号の魚たち−書影

1年間は365日、普通は1日朝、昼、晩の3食だ。とすると、1年間に1人の食事回数は1095回だ。

 ある日、ふと「暮らしの中から、骨(=野生)を見えなくしてるんだなぁ」と、思ったゲッチョ先生は、「一年間、自分の家の食卓から出る骨を、目の前から消し去らずに貯めていったら、どのくらいの量になるだろう」と考えた途端に即実行してしまった。名付けて「食卓の骨取り」プロジェクト、日常の小さな冒険が始まった。魚市場や海岸をウロウロ、キョロキョロ、ニヤニヤと、魚を探しまわるゲッチョ先生の姿が目に浮かぶ。

 この「骨取り」プロジェクトの一年間をたどり、いろいろな魚と出あい、いろいろな気づきがあり、いろいろな骨太なマニアックな人たちとの出会いや交流で世界が広がっていく話が、とってもオモシロイ。世の中、まだまだオモシロイじゃないかとうれしくなってくる。骨先生として、森のてら子屋に来てもらった時に出会った、琵琶湖の漁師オカ君とのやりとりも出てくる。

 この本の副題は、「コン・ティキ号の魚たち」。コン・ティキ号にあこがれていたゲッチョ先生は、「食卓の骨取り」プロジェクトで現れてくる魚たちをコン・ティキ号の上に現れた魚たちに重ねながら、「沖縄=太平洋のイカダ」説を思いついた。私も、「なるほど」と思った。しかし、その後自分で検証していくうちに、沖縄の人々の足もとの文化と、イカダとしての沖縄には、ギャップがあることに気づく。

 自然はいつもそこにある。ただそうだと気がつかないだけ。自然がどう見えるかは、結局見る人しだいのことなのだ。「食卓の骨」に何を見る?それは僕の目にこそかかっている。というゲッチョ先生の目は、わけのわからないままに流され漂流しているような現代を生きるゲッチョ先生が、自分の位置を確かめようとした実験航海のプロジェクトだったのだ。

 結局、一年間の全食事回数1091回、うち骨を取り出せた食事が127回(わずかに11.6%)、それでも取り出した骨は、小さな段ボール箱一杯になったそうだ。「食卓の骨取り」プロジェクト、最初はマニアックなおもしろさで私自身も読み始め、それだけでもおもしろかった。しかし、プロジェクトをふり返ってゲッチョ先生が感じていたことは、ジワッとしみこんだ。「野生」を本物からマジメに考える本だった。ぜひ、忙しく働き、慌ただしい毎日を過ごす大人、子どもたちの親のみなさんにお薦めしたい一冊だ。

さて、「骨の学校4」は、どうなるのだろう?
(社会研究部 中間 真一)


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