MONOLOGUE

2019.08.30

ヒューマンルネッサンス研究所(HRI)所長の中間と申します。
私たちHRIについて、しばしば次のような問答がやりとりされます。
「オムロンには、なぜ、社会の研究所があるんですか?」
「未来社会のニーズを先回りしてとらえておくためです」
「ちょっと先さえ見えない今、わざわざ専門組織で未来予測なんてやる価値ありますか?余裕のある会社ですね」
「私たちは、オムロンの創業者が1970年に発表した未来予測理論があるので、未来を描くことができるんです。確かに短期的に見れば悠長な取り組みに見えるでしょう。しかし、未来を見据える価値はありますよ」
「そんな半世紀前の未来予測に頼っていて大丈夫なんですか?」
「では、少し説明しましょう」

説明した後の展開は、ほとんどの場合、次のとおりです。
「なんと、まさに今、そしてこれからを見抜いていたんですね。創業者は、なぜ、こんな理論を構想できたのでしょう?特に、なぜ、工業社会の次に”自律”とか”自然”という社会の概念を設定できたんでしょう?」
「それは、創業者が志の高い日本人だったからじゃないかと思っています。東洋思想と欧米の技術革新を融合させる柔軟な発想ができたからではないかと。京都という場の力もあるのかもしれません」
最近、特にこのような話しが、国内外の多くの経営層のみなさんの腑に落ちるようで「いや、私もそんな気がします。もっと聞かせてください」となるんです。私はうれしくなって、さらに語ってしまいます。

この独白は、フィンランドで書いています。北欧の人たちが中心となった未来社会、未来技術を楽しく考える”SHIFT”というイベントです。どうやら日本人は私一人のようです。古い造船所をオープンな会場にしているので、出会い頭で、いろんな人とやりとりしていますが、共通するのは「人と技術のインタラクションのパラダイム・シフト」に対する強い関心です。SINIC理論の話しも、とても興味を持たれています。先の見えない今だからこそ、何かが変わりそうな今だからこそ、未来社会研究が必要なんだと、ちょっと弱気になっていたのですが励まされます。未来世代にバトンを渡すまで、もう少しやってみますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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