所長の独白

2021.04.11

60歳を過ぎても、自分は終わったと思ってはいけないんだ

 毎週末に読むのが楽しみなものの一つに、朝日新聞の別刷beの「フロントランナー」という記事がある。昨日は、作詞家の松本隆さんだった。おぉそうか、彼はもう71歳なんだ。この数字から改めて時間の経過を感じた。僕にとって、彼の音楽は「大人の階段」の一段目だった。そう、小学6年生の頃に知った「はっぴいえんど」の音楽だ。そこから、ビートルズ、カーペンターズ、KISSなど、意識系の大人の階段が始まり、一方では剣道を通じた筋肉系の大人の階段も始まった。

「ルビーの指輪」、「君は天然色」、「木綿のハンカチーフ」、彼の詞の曲は、自分のプライムタイムを思い返す時に、同時に蘇ってくるものばかりだ。きっと、同世代なら誰でも口ずさめるだろう。数年前には紫綬褒章を受章して、あぁ、彼の素晴らしい音楽のライフスパンも無事に終着地に向かうんだなと、好々爺の顔を観ながら感じていた。

 しかし、50周年で再起を図るらしい。記事によると、岡林信康さん(74)の影響が大きいという。岡林信康と言えば、中学時代にラジオの深夜放送で、ワケがわからないけど気になる、いや、気にしなくてはいけないような圧を感じるフォークシンガーだった。まだ、活動していたんだと驚いた。その岡林さんの23年ぶりの「復活の朝」というアルバムで、自分の人生の始末をしに向かっていた松本さんは、「70歳を過ぎても、自分は終わったと思ってはいけないんだ」と思い立ったらしい。

 ところで、僕は仕事の上では団塊世代と、相性がよかったためしがほぼない。概して、言っていることと、結果としてやっていることのギャップの大きさで信頼できなかったからだ。だから、団塊世代の松本隆さんの作詞も、アイドルのヒット曲を量産する手先という見方もできる。だけど、それについて彼のコメントは、なんだか腑に落ちた。「僕は大衆を信じてる。大衆っていうのはいい判断をする。売れて、いいものは残る。売れてもよくないものは残らない。売れなくても、いいものは残る」。確かに、はっぴいえんどのアルバムは、まだ廃盤にならない。

 これは、ポピュリズムと民主主義の問題とも重なる。大衆という得体の知れない怪物の「意志」を、善悪どちらでとらえるのか。僕は、信じるべきだが、そのためには時間が必要なのかもしれないと思っている。基本「性善説」だ。変化の激しい時代、刻一刻の変化に対して、刻一刻、最善の判断をしていくことは、きっとAIの方が得意だろう。トレーディングの如く。しかし、その積み重ねが最善の結果につながるかどうかは別問題ではないか。それは、大衆を信じて結果をしばらく先送りして待ってもいいのではないか。そういうゆとりを持ちたいものだ。後世に残るヒット曲を作り続けてきた彼だから言えるのかもしれないが、そうありたいものだ。それは、刹那的に一喜一憂する市場経済システムとは全く違う社会の姿だ。

 僕の独白は、いつも長くなりがちだ。自分に迷いがあるからだろう。「人生100年時代」とか「アンチエイジング」に違和感を持ち、生命あるもの、生まれたその時から死を目指して生きる「生者必滅」、それが生きるということだと思ってきたけど、松本隆さんの「70歳を過ぎても、自分は終わったと思ってはいけないんだ」の一言が響いてしまった。どうなるのだろう、どうするのだろう、未来。自分で考え、自分が生きるしかないんだろう。それが自律社会か。僕も「60歳を過ぎても、自分は終わったと思ってはいけないんだ」と思って生きてみようかな。

記事を読み終えてプロフィルを眺めていたら、なんと松本隆さんと僕は高校の同窓なんだと知った。これも縁か。だから、世の中はおもしろい。

ヒューマンルネッサンス研究所 所長
中間 真一
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