所長の独白

2021.05.30

「スルー」したい時代の危機


 NHKの土曜ドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」が、昨日最終回を迎えてしまった。同じくNHKの「半径5メートル」、フジテレビの「大豆田とわ子と三人の元夫」の三作は、コロナ禍にあってバラエティ番組ばかりとなり、テレビから遠ざかっていた私を再び引きつける楽しい時間だったので、とても名残惜しい。

 この「今ここにある危機とぼくの好感度について」については、けっこう大学教員の知り合いの面々も、おもしろがっていたことが興味深い。もちろん、たっぷり脚色してあるので「現実」としておもしろがっているわけではないと言うが、当たらずとも遠からず、思い当たる節があるから快哉を叫びたくなっているのだろうと推測している。

 いやいや、この独白の趣旨は大学の現実ではない。「今ここにある危機とぼくの好感度について」のキーワード、「危機」と「好感度」、そして、そのための「見て見ぬ振りをする」とか「知らんぷりをする」とか、「受け流す」とか、言わば「スルーする」態度は、今ここにある日本社会の危機的状況ではないかという想いが、最終回を見終えて、じわじわとこみ上げて来たことを独白しようとしているのだ。

 たぶん、そのこみ上げは、あと二つのドラマとの対比によって、浮き上がっている感じもある。大豆田とわ子は、三回離婚しているにもかかわらず、その三人の元夫たちと、なんだかんだと濃い人間関係を続けている。また、やむを得ず社長に就いたために負うことになったクラインとや社員との人間関係にも真正面から立ち向かう。知らんぷりをしない。

 半径5メートルは、女性週刊誌の編集部が舞台だ。大スクープのゴシップ狙いの一折編集班から外され、身の周りの暮らしネタを扱う二折班で取材する若い編集者とベテランが、身近な些細なネタを入口にして、取材をしながら深い人間ドラマを描き出すという筋書きだ。これまた、見逃しがちな足元の出来事を丁寧に扱うという態度である。

 それぞれのドラマのこれ以上の解説は、各番組のウェブサイトに任せるが、後者のドラマ2作が地になって、「今ここにある…」が図として浮かび上がってくるものは「無責任」、「無関心」、「無関与」という、個人中心の価値観、自分さえ良ければいいという利己主義、自分の利得にならない無駄には関わらないという態度ではないかと強く感じたのだ。

「今ここにある…」の最終回は、真理探究の府としての大学に立ち返る再生へのスタートで幕を閉じた。学長は、それまでの組織を「腐っている」と断じた。熟れた果実は、そのままにすれば腐って落ちる。日本は素晴らしい高度経済成長に成功して、成長から成熟にギアチェンジを必要としているはずだ。にもかかわらず、ギアをニュートラルにして、いろいろな課題をスルーして、どこまで惰性走行できるか、逃げ切れるかに奔走しているところはないだろうか?

 それが、この世界を覆うコロナ禍の不安、そして同時に課題となっているオリンピック開催問題も含め、表面化が加速しているように思えてならないのだ。「勝ち組」か「負け組」かばかりに気を取られている個人主義の競争主義の嫌な空気の中で腐敗が進行していないだろうか?未来社会研究所の所長としては、そこのところを独白したくなったのだった。

 もっと恐ろしいと感じるのは、このようなスルーの無責任や無関心が、無意識のうちに社会の価値観になってしまうことだ。これは、未来社会への最大のリスクの一つのはずだと思う。私たちのHRIが未来の羅針盤としているSINIC理論は、この渾沌と葛藤の最適化社会の先に、これまでの「個人」と「物」を中心とする価値観から、「集団」と「心」を中心とする価値観への転換を指し示している。

 最近、身近に見える若い世代のソーシャルな行動には、少なからずそういう価値観シフトの兆しを感じ取れる。それが、私はとても心強い。「スルーする」という言葉は、たぶんSNSの拡大と共に広がったのだろう。SNSも多くの新技術の社会実装と同様、光と影の両面を持ちつつ、光を強くしていくはずだ。このSINIC理論という未来羅針盤を信じて、よりよい社会をつくることに、少しでも貢献できればと思う。

ヒューマンルネッサンス研究所 所長
中間 真一
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