MONOLOGUE

2020.08.11

夏休み熱中日記

 今日の天気は晴れ、東京の最高気温が37.3℃、群馬では40℃を超えたようだ。などと、数字(脳)でしか暑さを感じないと、身体感覚がダメになると思い、午後の炎天下に自転車をこぎ始めた。あたり前だが、なるほど暑い。いや、体温を超えているし「熱い」。

 夏は、暑かった。しかし、こんなに「熱く」なかった。小学生時代の夏休み、暑い中で朝から夕方まで、外で、プールで遊び続けていた。そこで、50年前の今日の天気を気象庁のデータから探した。1970年8月11日の東京の天気は晴れ、最高気温は30.3℃だ。今日と7℃の差がある。やはり、かなり熱いのだ。あれ?パリ協定では、地球の気温を産業革命以前に比べて2℃以内の上昇に収めるのが目標ではなかったか?18世紀の産業革命どころか、50年前から7℃も上がっているのに。まあ、それほど単純な話ではないだろうが、とにかく日本の夏は亜熱帯気候に変わったようだ。

 テレビ画面では、甲子園の野球中継の上に、各地の気温と共に「外出を避け、エアコンのきいた室内で」と、熱中症防止のアラートのテロップが流れ続けている。コロナ禍によって、人々の動きは少なめだし、都心のビル群から吐き出されるエアコンの廃熱風も例年よりは少ないはずだ。しかし、Stay Homeで、各家々のエアコンは24時間フル稼働。その先には、電力不足、見切り発車の原発稼働などにつながっていかないかと不安になる。

 既に気候変動の勢いが増してしまった中で、我々は未来に向けて、何ができるのだろう。この「灼熱化」に適応する種の進化には、まだまだ時間がかかりそうだ。エネルギー消費を最小化して、快適な暮らしの環境を得るために、種の進化に頼らずとも、日本人は夏を凌ぐ数々の暮らしの智恵を生んできたはずだ。「そうだ京都、行こう!」京都の盆地の暑さは、出張者、旅行者である私にとっても毎年強烈だ。それについては、かの兼好法師も「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住居は堪えがたき事なり」と、鎌倉時代の徒然草の中で嘆いておられる。しかし、不思議と京町家の中は、不思議と涼しかったりする。

 京町家の構造は、江戸時代の中頃に始まったらしい。京の夏を凌ぐ、風通しの智恵と工夫の涼構造だ。通りに面しては、防犯、プライバシーに配慮しつつ、風と光を通す「表格子」という構造、熱を籠もらせないためには中二階には「虫籠窓」という格子状の窓と障子戸の構造、「通り庭」と「坪庭」の二段構えで風の道と流れを確保する通風構造、これらは科学的合理性と暮らしごこちを両立させた智恵の構造と言えるだろう。

 また、坪庭の苔や植栽、井戸水などのビジュアルやサウンドスケープ効果、さらには、「簾(すだれ)」、「簾戸(すど)」、「藤筵(とむしろ)」、「水盤」などの建具や敷物などのインテリア、これらは、身体的な「涼」のみならず、こころで感じる「涼」とも言える部分だ。そういう住まいの智恵が、エアコンと高気密断熱住宅構造によって、消えていく。

 新型コロナ禍の夏、特別な夏ではあるでしょうが、やはり、元に戻ることを願うのでなく、新しい夏をつくることも、未来に向けて考え直す契機ではないだろうか。人工環境に頼り切らずとも、自然と人工の融和の智恵を取り戻したいものだ。それも、SINIC理論の自然社会の技術の一側面ではなかろうか。もし、新型コロナの感染が無かったとして、この暑さの中の東京オリンピックは、想像を絶するものになっていたのではなかろうかと感じつつ。

 おっと、お天道様が沈むようだ。さて、私も日課の庭の水まきをしてくることにしよう。ついでに、通りにも打ち水をする。これが、結構、「涼」を感じられる。毎日、蚊にボコボコに刺されるが、在宅夏休みの日課になっている。明日も気温は高いらしい。

ヒューマンルネッサンス研究所 所長  中間 真一
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