MONOLOGUE

2021.10.16

Fact or Fake
~未来の価値を考えた~

「Fake(フェイク)」という言葉が、日本でも多くの人たちに通じる単語になったのはいつからだろう?気になったので、日本の新聞紙上に表出した頻度を調べてみた。みなさんは、いつ頃からだと思うでしょうか?

 30年前の1990年は9件、フェイク・ファーなど、人工素材に関連したファッション関係記事の程度でした。少しずつは増えたものの、2016年でもスポーツや芸能関連中心の182件です。そして、アメリカ大統領選挙が近づいた2017年に一気に増加して1211件、2018年1585件、19年1209件、新型コロナニュースが増えた2020年には951件と落ち着く。記事内容は、アメリカの選挙に限らず、国内も含めた政治、政治家個人、選挙、新型コロナ報道と共に、メディア、SNS、AI、ニューロテックなど、情報テクノロジーと社会の関係記事も目立ちます。「フェイク」という言葉が人口に膾炙する時代を迎えました。

 そして、その広がりの背景には、「悪意」や「策謀」の高まりと共に、それを可能とする技術の驚くべき進歩が伴っています。機械が人間に近づいてきたと、恐怖が蔓延し始めています。これは、新技術の「陰」の利用であり、確かに恐ろしいことです。しかし私は、機械と人の能力較べの問題ではないような気がします。そもそも、人間は騙されやすいのではないでしょうか。

 思えば、遠近法も騙しのテクニックですが、紀元前5世紀頃の舞台美術に透視図法として使われていたようです。このような「錯」としての誤りは、時に人間の認知を助ける技術だから積極的に利用されてきました。一方、「騙」には悪意が伴った。この違いが、技術の「光と影」の両面なのでしょう。オムロンの未来の羅針盤であるSINIC理論では、技術は常に「光」が「影」を上回って広がって社会を発展させるという前提に基づいています。

 最近、こりゃすごい!と驚いた記事に、シアトルのAIを活かした合成音声のスタートアップ企業(※1)の取り組みがありました。ちょっと前まで、電車内の合成音声やAlexa、Siriの声を聞き、まだまだ、こいつには頼れないと感じていたのですが、まるで人間が話しているように、文脈にそったり、目的にそった声色まで作り上げています。見事なまでのディープ・フェイクです。その店、その用途に最適な音声をつくれるというのだ。企業ブランドは、コーポレートカラーやロゴマーク、フォントなど「視覚」に訴えてきたが、これからは「聴覚」でブランドを訴求するものになりそう?

 声優の仕事を奪うのでは?という声もあがっているようです。説得力のある声色は、聞き手のこころや行動を変えるのにも有効でしょう。それを悪用しようとする人も出てくるでしょう。しかし、だから「恐怖の技術」と決めつけることもない。「光」に役立てられるのならば、「安心の技術」ですから。

 では、そのとき人間はどうしたらよいのでしょう?声優であれば、自らの身体感覚に基づく気持ちを込めれば、次々に細かいレベルで声の表情を無限に生み出すはずです。人間は、より創造的に、脳だけでなく、心と身体を併せ持った人間の力を発揮すればよいわけで、とても自然な営みとなるはずです。

 そして、その人間の力は、いかに磨かれていくものでしょう?そうです、そこにはFakeではなく、Factが必要になるのでしょう。ここで言うFactとは、真実というよりは、Fictionに対する「現実」に近いかもしれません。限りなく生身と生身の間から生まれるような。身体感覚というのは、受けとる側だけの生身感覚でなく、向こう側も生身である、生身と生身の関係からこそ生まれるものじゃないのかな。だから、人と人、人と生きものの間から生まれるはずです。そうなんです、未来への技術の発展価値は、じつは人と生きものの関係づくりを耕す価値なのではないだろうかと思う今日この頃なのでした。

※1 WELLSAID社: https://wellsaidlabs.com/
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