MONOLOGUE

2020.05.18

GW中の我が家の自由研究「切り花のお裾分け」

好天に恵まれた今年のゴールデン・ウィーク、例年であれば、各地の観光地などはギュウギュウ詰めになったであろう。しかし、みんなが"Stay Home"に心と行動を合わせた結果、そんなことにはならなかった。GW後ほぼ2週間経った現在、毎夕発表される新たな感染者数の数字にも、それは表れている。世の中、やっぱり捨てたもんじゃない。

かくして、私も家の中か庭にいる時間がほぼ100%の毎日を送っていた。今まで、こんなに熱心に草むしりや庭木の手入れに時間をかけたことはなかった。が、こうしてみると、気づかなかった新しい発見も得られた。この時期、日々変化する木々の葉、バラの開花、ゴーヤのツルの伸び、これら生きものの成長の勢い、むしっても、むしっても、すぐに出てくるカタバミ、ドクダミ、シダなど雑草たちの根の張り方やタネをバラ蒔くしたたかな生存戦略。みんな、一生懸命生きるための知恵を活かしている。地べたに這いつくばって「アリの眼」になった私は、丁寧に観る時を得て、小さな生命の大きな変化への兆しセンシング感度が上がったような気がする。生の歓びが伝わってきた。

そして、我が家では家族そろって「自由研究」に取り組んだ。この外出自粛でも、生産量をコントロールしにくいのが生きもの相手の「農業」だ。美味しい野菜、果物、肉、魚、これらが「ロス」になってしまう。その結果、農家のみなさんも弱ってしまう。そこで、我が家では花卉農家から連日きれいでフレッシュなバラなど様々な切り花を取り寄せた。結婚式やイベントのキャンセルで、ロスになってしまう素晴らしい花が気の毒で、これから支給されるはずの10万円を研究予算として着手した。

しかし、農家から取り寄せるロットは大きい。素晴らしいバラだって一箱40本も入ってる!そこで、家族の発案で通りすがりのみなさんへの「お裾分け」実験を始めた。人通りは減っているが、買物や散歩で家の前を通る人たちに、お花をお裾分けしようというものだ。だけど、ただ「よろしければ、どうぞ」だけでは芸が無い。ロス・フラワー支援の趣旨、その花を育てた農家の情報にアクセスできるようにして、カンパ用の小さなビンも置いて、どうすれば皆さんが関心を持ち、参加者になるだろうかと考えた。かくして、我が家四人のGW中の食卓は「自由研究のブレストの場」と化した。(笑)

毎日毎日、道路端に並べた仮設テーブル(ビールケースにカバーしたようなもの)上のバケツのたくさんの花は、思いの外の勢いで、残らず皆さんの手に渡った。私は「ニンゲン観察モニタリング担当」だ。それとなく、いろんなところから通りかかる人たちの行動を観察した。老若男女に全く関係なく、ほぼ9割くらいの人たちが「花のお裾分けコーナー」に目を向け、立ち止まって、じっくりメッセージボードを読んでくれる。一人で歩いている若い男の子でさえ立ち止まる。カップルや親子は、何か会話を始める。そして次に、道路の奥の我が家をのぞき込むようなしぐさをする(これがおもしろい。怪しげな変人の家なのかな?と訝っているのだろう)。その上で、ポケットから財布を取り出しコインを入れて、一束を取り上げてくれる。カンパのコインは、高級バラであっても野花のような花であっても、関係なく1円~500円までさまざまだ。(ちなみに、コインをビンからくすねた人はゼロ)

また、家に飾った後の様子をメールで寄せてくれたり、花に気づいたときの幼い子と母親のやりとりを農家へのメッセージとして寄せてくれたり、花がジャムや干物になって戻ってきたりと、お花を持って帰った人たちの、その後のリアクションも興味深く楽しかった。ホッコりさせてもらった。みんな、やさしい気持ちになっている。

我が家では、この自由研究を「中間さんちの利他社会実験」と名付け、普段はそれぞれの仕事をしている中からの知恵を寄せ合って「人は、どうしたら利他の気持ちになれるのか?」を実験結果からあーだこーだと考察した。その結果をまとめると3つ。
1)きれいなものは、人の心もきれいにする
2)カンパは対価ではない。原価とか収支なんてことを考えない
3)「わらしべ長者」はウソじゃない

新型コロナは、感染の勢いが収まりつつある。早く終息を迎えてほしい。しかし、みんなが心を合わせる契機にもなったことは大事にしたい。利他社会は、理屈っぽい話しではなく、気持ちよく、美しいものに気持ちが動くような感じで拡がりそうだ。ニュージーランド首相の言葉を思い出した。"Be strong and be kind"まさに、そうだな。そして、"Be beautiful and be human"とも言いたくなった。そういう一人ひとりが集まる社会こそ、みんなが幸せに生きていく自律社会なんじゃないかな。
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