未来スコープ

2018.10.15

SINIC理論の到達点
「自然社会」

関西学院大学・奥野 卓司教授インタビュー

奥野 卓司教授

社会・技術・科学の未来を描き出すヒントを得るために、先進的・独創的な未来ビジョンを持った有識者へのインタビューを行う「未来スコープ」。

第1回目となる今回は、文化人類学の視座から情報社会を読み解く「情報人類学」を専門とする関西学院大学・奥野 卓司教授に、オムロンの未来予測理論「SINIC理論」とそれをつくった創業者の思いを読み解いていただいた。

ユニークな未来への着眼

僕は生まれも育ちも京都なので、実は子どもの頃からオムロン(当時の立石電機)のことを知っていて、おもろい会社やなあと思ってきたんです。「おもろい」というのはもちろんポジティブな意味で。

その一つがSINIC理論ですが、当時としては特に「情報化社会」に対するユニークなとらえ方が特徴的だったことを思い出します。

SINIC理論が発表された1970年前後は、ダニエル・ベルやアルビン・トフラー、梅棹忠夫といった未来学者たちがさまざまな予測を描いた時期でもありました。しかしそうした未来予測に登場する「情報化社会」というのは、「機械万能」の考え方に基づいた工業社会の発展形として情報通信技術が発達していく姿が描かれているものが多かったのです。一方で、SINIC理論の描く「情報化社会」は、「サイバネティックス」をベースにしてそれが技術や社会とむすびついた未来を描いている。ここがすごくインパクトの大きなものでした。

「生きもの」の世界から未来を探る

サイバネティックスとは、生物から深く学ぼうとする科学です。おそらく一真さんは「生き物というものの中に機械を超えた何かがあるんじゃないか」ということに気づいていたのではないでしょうか。そして「それは何か」ということを考え、さらに「できればそれを機械に応用したい」と発想した。

生き物というのは死ぬまでの間、環境が変化してもつねに体を一定の状態を保つことができます。この働きは恒常性、ホメオスタシスと呼ばれたりもします。かたや機械は放っておいたら必ず崩壊の方向に向かってしまいます。エントロピーの法則に支配されている以上、仕方がありません。

生き物が壊れずに安定した状態を保つことができるのはフィードバックの仕組みが体の中にあるから。それを機械の中にも取り入れようとするのがバイオフィードバックという考え方です。

今、この部屋で動いているエアコンは、暑くもなく寒くもないちょうど良い室温に保ってくれていますが、これは環境を検知して一定の温度になったら止まるといった仕組みがあるからです。こうしたフィードバックの仕組みをオムロンはいち早く機械に応用して、リレー装置やスイッチング技術などの社会制御の機構をつくってきたわけですよね。つまり、生き物にできることを機械にも可能にしてきた。その背景にあるのがSINIC理論で、創業者が当時サイバネティックスをベースに「生き物にできて機械にはできないこと」を考え抜いたからだと思います。

「自然社会」への壮大な人類の旅

一真さんはSINIC理論の到達点、究極の社会として「自然社会」を描いていますが、ここがまた大きな謎です。

人間の社会がそもそも自然から生まれたことは事実です。そして自然を加工することによってさまざまな技術を生み出し、社会を展開してきた。SINIC理論の円環的な予測に基づけば、「自然社会」は結局のところ、元のところに戻るというイメージでしょうか。

人類の祖先は木の上で暮らしていました。しかしいつしか木から下りてきて狩猟を始めて移動距離を拡大していった。「自然社会」では、結局また木に登ってごろ寝して果実を食べながら「『自然社会』に戻ってくるまでの人類の壮大な旅は一体なんだったんだろうな」なんて考えているのかもしれない。

でもいまも木の上で木の実を食べているサルは、木の上での暮らしには何も苦労していないわけですよ。それなのになぜ人間は木から下りてきて狩猟採集を始めたのでしょうか。わざわざ食糧や住み処から離れて、どんな危険が潜んでいるかもわからない地上にわざわざ下りていったのでしょうか。

「おもろさ」で人間は突き動かされる

それに原始的な生活に戻るのであれば、わざわざ2033年の「自然社会」の到来を待たないでも今すぐ戻れるはずです。例えばクルマもコンピュータも持たずに暮らしているアーミッシュのような生活を実践しようとすれば個人的には今すぐできてしまうわけですよ。

ところが人類は今もなお高度な技術を重ねていっている。そこが人間の面白さです。

人類の祖先が木から下りてきたとき、もし僕が横で見ていたなら「おまえ、そのまま上におったほうがええで」って言いますよ。下の世界は危険でいっぱいですから。でもきっと「いや、それでも俺は行くんや」と返されると思うんです。

「だって木の上におっても退屈やし、木から下りたほうがおもろいやん」ってね。そんな風に人間は好奇心、楽しさ、刺激を求める衝動というものを抑えることができないのだと思います。それを無理に抑えてしまうのは僕はあまり幸せだとは思えない。

旅から戻った人間が再び登る木とは?

そんな好奇心や衝動に突き動かされて、元は同じ木の上にいた人間たちがほうぼうに散らばったり集まったりして社会をつくっているのが今の状況です。そしてこれから「自然社会」が到来すると、何かに気づいて再び木の上に戻ろうとする。でもそれは太古の昔に暮らしていた木と同じではありません。しかも人間は多様になっており、それぞれが異なる価値観や体系を持っている。そんな異なる人間同士が共存して協力していくのは「原始社会」では不可能なことでしたが、「自然社会」ではその多様性、自由と共生が可能になっている、可能にしていく。それが僕の「自然社会」のイメージです。

奥野 卓司教授

PROFILE

関西学院大学奥野 卓司教授

1950年京都市生まれ。関西学院大学先端社会研究所所長。情報人類学・メディア表彰論・人間動物関係学専攻。京都工芸繊維大学大学院修了(学術博士)。米国イリノイ大学人類学部客員准教授、甲南大学文学部教授などを経て現職。公益財団法人山階鳥類研究所所長を兼任。
著書に『情報人類学―サルがコンピュータをつくった理由』(ジャストシステム)、『人間・動物・機械―テクノ・アニミズム』(角川新書)、『第三の社会―ビジネス・家族・社会が変わる』『ジャパンクールと江戸文化』『江戸<メディア表象>論―イメージとしての<江戸>を問う』(岩波書店)など多数。訳書に『ビル・ゲイツ』(翔泳社)など多数。

聞き手のつぶやき

大きな謎の「自然社会」。一真さんは決して自然を支配した文明社会を目指していない。自然を理想システムとして少しでも近づこうとして未来を考えた。そう思うと、最近の自然災害に対する「想定外」という強気のコメントは、筋違いというか不遜な感じがする。おもろい未来は人間の弱さから生まれるのかもしれない。
(聞き手:中間真一)

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