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てら子屋コラム

五感でとらえるリアリティ
~夏のてら子屋第1回プログラムから~
鷲尾 梓

43.jpg「海のにおいがする」
海水浴場の一つ手前の停留所でバスを降りる。海はまだ見えない。「ここからは、これをつけて歩きましょう」同行してくれた新江ノ島水族館の倉田さんから手渡されたのは、アイマスク。

 班ごとに列になり、前の子の肩に置いた手だけを頼りに、そろりそろりとすすんでいく。「うわぁ段差だ」「待って、待って」と大騒ぎしながら。「ここはどこ?」「いつになったら着くの?」アイマスクをつけずに見守るスタッフにも、海岸までのまっすぐで平らな道が、長く険しい道に感じられる。

 「あ」と、先頭の子が声をあげる。「砂だ」。「ほんとだ」「海だ」「波の音がする」「今、貝殻踏んだ!」
暴風ネットの影を抜けると、目の前に海が広がる。「あー、風が来た」。
アイマスクをした子どもたちは、鼻や耳、足の裏や肌・・・全身で海を感じ取っていた。立ち止まって目を閉じると確かに、海からの風が頬を撫でて行くのがわかる。
波打ち際でアイマスクを外して見た海は、どんな風に見えただろう。
次の瞬間にはもう、歓声を上げて波と戯れる子どもたちの姿があった。

 砂浜で、子どもたちはいろいろなものをみつけてくる。中でも、子どもたちが一番興味を示していたのは、生き物の「死骸」だ。
 女の子の一人が打ち上げられた海鳥をみつけ、「みてみて」と持ってくる。両方の羽をつかんでぱたぱたと振って見せる。以前にもてら子屋に参加して、ゲッチョ先生の「骨の授業」を受けたことのある男の子たちは、「頭の骨がほしい」と、慣れた手つきでぱきっと頭を取り、羽をむしる。真っ白な細い骨が手のひらに残る。

 別の場所ではたくさんのサメが打ち上げられていた。ゲッチョ先生はカッターを取り出すと、その場でサメをざくざくと切り始める。顎の部分から、骨だけをきれいに取り出す。その鮮やかな手さばきに、思わず子どもたちと一緒に見入ってしまう。「入れ歯みたい」。「帰ったら、消毒用のアルコールにつけてきれいにしてから、形を整えて干しておくといいよ」とゲッチョ先生。「これもやって」と、ゲッチョ先生の前にはサメをぶらさげた子どもたちの列ができた。

 もちろん、「気持ち悪い」という子もいる。ゲッチョ先生は、「それが普通の反応だよなぁ」と、強要しない。すると、遠巻きに様子を見守っていて、ときどきひょっこりのぞきにくる。「うわぁ縲怐v、と顔をしかめながらも、興味はあるのだ。

 夏休みに遊びに行く、きれいに整備されたビーチには、海鳥やサメの死骸はあまり落ちていない。あったとしても、顔を背けて通り過ぎてきた。パックに入った魚や鶏肉を買ってきて食べてはいても、少し前まで生きていた動物の死骸に触れたり、ましてその体から骨を取り出すなどという経験はしてこなかった。

 「海」「生」「死」「食」のすべてがつながっていること、「体」の中に「肉」があり、その中に「骨」があるという当たり前のことを、頭で「理解」していても、リアリティのあることとして「知っていた」かどうか。「サメってざらざらしてるね」「なんか、くさい」「鳥の頭の骨って軽いんだね」五感を駆使して感じる、そんな小さな実感の積み重ねが、「リアリティ」を生むのだ。砂の上で次々に「骨」になっていく「死骸」をみつめながら、そんなことを考えさせられた二日間だった。


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