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てら子屋コラム

子どもの力、大人の力
中間 真一

40.jpg 春休みに入った日曜日の夕方、昨夏のてら子屋で、天体観望や地層観察の手ほどきを受けた川崎市青少年科学館に出かけた。32名の小学4縲鰀6年生が10月から月にほぼ一度のペースで続けてきた「メガスター星空創作教室」の発表会が開かれるのだ。小学生らが自作のプラネタリウム番組を、メガスターを操って自演するという。どんなストーリーだろう?どんなBGMだろう?どんな絵だろう?興味津々で会場に入ると、すでに場内は大入り満員。

 さあ、場内が徐々に暗くなり、天上に星が見え始めた。子どもたちの奏でるリコーダーの音色が、サラサラと心地よい。冬の大三角形は、オリオン座のペテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキシオン。私の記憶もよみがえってくる。一番手の子の解説の声は、ゆっくりと、しっかりと、まじめに語りかけてくる。緊張の中、何度もリハーサルを繰り返したのだろう。

 ところどころで、子どもたちの描いた星座の絵が映し出される。そして、子どもたちが既成の星座にとらわれることなく、星を観て自分で感じたとおりに描いた「オリジナル星座」が紹介される。確かに、おおいぬ座やこいぬ座、他の星座にしても、星の並びと星座の姿を重ねるのに無理があると感じたことは、誰にでもあったのではないか。しかし、「これらの星は、こいぬ座として決められている」と覚えなくてはいけなかった。だから、それ以上に興味を持てず、すぐに忘れてしまった。

 しかし、子どもたちは素直に自分の心に映ったそのままの形を描き出している。クワガタ座もあれば、自動車座、スイカ座もあっただろうか。コチコチに硬くなった大人の脳には、「星空に、なんのイタズラ書きしてるんだ?」くらいに映ったかもしれない。じつは私も「えっ、オリジナル星座って何だ?」と、一瞬頭の中が「?」になった。そして次の瞬間、自分の硬化してしまった感性に気づき愕然とした。「あの誰にでもわかりやすい冬のオリオン座、自分には子どもの頃からアフリカの太鼓か砂時計にしか見えなかった。狩人オリオンに見えたことは無かった」星を神話で楽しむやり方もあれば、見えたとおりに自分の星空を描くやり方だってありなのだ。

 オリオン座の話から、M42オリオン星雲の話し、星の一生の話しにも展開されていった。これらの話しは、大人となってしまうと「今さら聞くに聞けない」ことも多い。しかし、ずっと不思議で、理解しきれないままだったという人も少なくないだろう。星の誕生から死まで、子どもたちの絵と話しによるプログラムは、知ったかぶりする必要ない、素直に「へぇ縲怐Aそうだったの」と思える、とてもわかりやすいものだった。最後に、絵画指導をされた画家の先生が、「年寄りの描く星の一生は、死に向かって暗くなる。子どもたちの描いた星の一生は、誕生から発する明るさがある」というようなコメントをされていた。まさしく、そのとおりの絵だった。

 「小学生なんだから、この程度で十分」、「子どもだから、正しい理解よりも、見た目のおもしろさを優先しよう」、「子どもに、そこまで理解させるのは無理だ」など、世の中の大人たちには「子どもの力」を貶めて見る向きが目立つ。しかし、世界一の星の数を映し出せる投影機メガスターだって、子どもたちがこれほどまでに素晴らしく使いこなせる。感激させようと演出する大人の技とは違い、素直で感じたままを大胆かつ丁寧に繰り出す、子どもたちの表現ならではの感動と理解は大きい。

 私たち大人は、自ら育つはずの「子どもの力」を、折ったり曲げたりねじったり、眠らせたり押し込めたり引っ張り過ぎたりしていないだろうか。もちろん、子どもの力にとって、大人の力は大切だ。今回のプログラムも、仕掛け人の国司さんをはじめ、画家、音楽家、メガスター開発者の大平さん、天文の先生など、本物の大人たちが子どもたちの「!」と「?」を支えてくれてこそ完成しているのだろう。子どもの育つ力、大人がそれを支える力、両者が自然にかみ合う教育を、学校という学びの場に実現できないのだろうか。今年度は、腰を据えて考えたい。素晴らしい発表会だった。


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