てら子屋
Contents MENU
お問い合わせ HRI HOME
てら子屋とは
てら子屋の活動紹介
お知らせ掲示板
研究室
図書室
てら子屋コラム
てら子屋リンク
トップページへ戻る
てら子屋メンバー専用ページ

てら子屋コラム

教育今昔事情に思う
澤田 美奈子

 動乱の幕末期、京都市中の警護役として活躍していた新選組。その局長・近藤勇や副長・土方歳三の故郷である、東京都日野市の資料館では、彼らの残した史料が数多く展示され、彼らの手による書簡を見ることができる。
 江戸から遠く離れた京の町での彼らの活躍の様子を故郷の人が知ることができたのも、150年前の時代にあったことを今の私たちが知ることができるのも、「よみかき」能力を身につける寺子屋なり学校なりの“公教育”というありがたいシステムのあるお陰だ。

 さて、資料館の展示の中でとりわけ目をひいたのは、土方歳三の字である。
 彼の書いた字は、他の人の書く、習字の教科書に載っているような角ばった字とは明らかに違う、丸みを帯びて流れるような字体で、どこか女性的で洗練された雰囲気を醸し出していた。
 「これが歳さんの字ですか?」
と解説員の人に尋ねると、「そうですよ」という答えに続けてこのように説明してくれた。

 歳三は寺子屋に通っていたが、一斉型の授業を嫌い、みんなと同じ字を書くことを嫌った。人よりも“カッコいい”字が書きたいと思った彼は、村一番の書道家を探し出し、先生の自宅を訪れ、個人レッスンを受けていた。だから字が他の人と一風違うということらしい。
 時代の変化に伴い和装を脱ぎ捨て、誰より早く洋装に身を包んだ彼の“突出したがり”な性格は、子ども時代から既に形成されていたのだなと思った。

 と同時に、このエピソードは昨今の学校現場の問題を連想させた。

 最近、「落ちこぼれ」とは逆に、「浮きこぼれ」と呼ばれる、学校の学習内容だけでは満足しきれない中上位層の子どもをどのように指導すればいいか、という問題が挙がっている。
 先月、東京都杉並区立和田中学校にて、学内の成績上位者を対象に進学塾講師が学校に来て授業を行う“スペシャル授業”の試みがスタートし、ニュースを賑わせた。
 この“スペシャル授業”の受講者である生徒はテレビの取材に対し、「学校の教え方と違って新鮮」「どうしてそうなるのかを深く説明してくれるので面白い」との感想を述べていた。この事例に改めて、「浮きこぼれ」の子どもの学びのモチベーションを支えるためには、学校の範疇を越えてでも適切な学びのサポートを行うことが重要なのだと認識する。

 しかし、塾は、学校で習得する「よみかきそろばん」能力を、さらに発展し応用し深めた形で身につける場ではあるが、社会の中でたくましく生きていくためには、「よみかきそろばん」の基礎的能力や応用発展力とはまた異なる種類の能力も身につける必要がある。

 現代風に言えば「浮きこぼれ」に違いなかった土方歳三の学びの場が、寺子屋の授業と、書道家の先生による“スペシャル授業”だけであったなら、彼は単に「ちょっとしゃれた字を書く百姓」でしかなかったと思われる。
 彼が新選組のリーダーとして激動の時代を生き抜き、後世に名を残すまでの人物になった背景には、地域社会の中での豊穣な学びの経験があったからではないだろうか。
 
 百姓の家に育った歳三は、幼いころから実家の畑仕事の手伝いを、近所の子どもたちと一緒にしている中で、人に適切な指示を出し、人をまとめあげる才覚の芽を伸ばしたという。そんな地域社会での自然な学びの経験が、出自も身分もバラバラだった新選組という烏合の衆をまとめあげた、彼流の「生きる力」の源泉となったと考えられる。

 そんな風に、寺子屋の時代の人々は、学校や私塾だけでなく、家庭や地域共同体といった、身の回りにあるすべてのものを通して総合的に「生きる力」を身につけていたのではないか。

 翻って、現在は農業社会から工業社会への移行により、あるいは核家族化や少子化の影響によって、「生きる力」を育む場として大事な一端を担っていた地域社会や家庭が機能不全になっている。
 だからといって、「よみかきそろばん」という基礎学力の習得を基本役割とする学校を、「生きる力」の何から何までもを教える場とすることにはやはり限界があるだろう。

 学校以外に、いかに「生きる力」を学ぶ場を設けるかが課題だ。その一つの場がHRIの「てら子屋」なのであるけれども。


和田中の「夜間授業」スタート 塾講師が11人に授業 (2008年1月26日 asahi.com)


てら子屋コラム トップへ バックナンバーへ

HRI Human Renaissance Institute Copyright © Human Renaissance Institute 2007 All Rights Reserved.