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てら子屋コラム

試行錯誤できる社会へ
~セレンディピティを育てるために~
中間 真一

084.jpg 1月に「てら子屋」の実践活動について、講演させていただく機会を2度ほどいただき、これまでの活動を振り返ってみた。一言で言えば、「試行錯誤」だ。しかし、この「試行錯誤」という言葉、果たしてよい意味なのだろうか。気になって辞書を開くと「新しい状況や問題に当面して解決する見通しが立たない場合、いろいろ試してみては失敗を繰り返すうちに、偶然成功した反応が次第に確立されていく過程」と広辞苑にある。ちょっと意外で新鮮な感じがあった。

 特に、「偶然の成功反応が次第に確立されていくプロセス」という部分でハッとした。自分では、意図して因果関係の必然から問題の改善を重ねてきたつもりもあったのだが、確かに「偶然の成功」かもしれない。いや、そのとおりだろう。偶然の素晴らしい協力者との出会い、参加者との出会い、場との出会い、テーマとの出会い、それに尽きると言ってもおかしくない「てら子屋」なのだから。

 では、試行錯誤というのは、運次第なのだろうか?いや、そうでもないような気がする。試行錯誤には、かなりの準備と思いとエネルギーが要る。ところで、そういう偶然を発見できる能力を<セレンディピティ>と言うようだが、原作はアメリカの絵本で、セレンディップ王国に幸せを招く三人の王子の冒険物語『セレンディピティ物語』(藤原書店)を読んだ後の、充実感と安堵感を私は思い出した。もしや<セレンディピティ>こそ、「試行錯誤の力」なのではないか。三人の王子たちは、それぞれに優れた得意分野を持ち、それらを合わせて問題解決を遂げていくという物語であり、決して強運三王子の物語ではない。ぜひ、お薦めしたい本の一つだ。

 やはり、試行錯誤は大切な営みであるような気がしてきた。そんな時に読んでいた本が、宮台真司さんの新著『14歳からの社会学』(世界文化社)だ。じつは、書店でこの本を目にした時の第一印象は、「エッ、どうしちゃったの宮台さん!?」だった。しかし、読み進めるほどに、どんどん引き込まれていく。この本の第1章は、「<自分>と<他人>、みんな仲よしじゃ生きられない」で始まる。私は一瞬ドキッとしつつ、「よくぞ言ってくれた!」と快哉を叫びたくなるほど大きな共感を持った。そして、その中には「試行錯誤論」と読み取れる記述もあったのだ!宮台氏は、もはや、豊かになった日本では、日本人を<みんな>と括ることはできなくなったと言う。そして、一人ひとりが幸せに生きるためには<自由>が必要であり、自由に振る舞うためには<尊厳>が必要となる。そのためには、他者からの<承認>を得る経験を必要とするのだと説く。そうだ。この<自由>こそ「試行錯誤」なのだ。自分の試行錯誤を他者が<承認>し、<尊厳>の下に失敗しても大丈夫なんだという安心を得られる。だから、さらに次の試行錯誤すなわち<自由>を得て、人間を社会の中で成長させるサイクルに乗っていくことができるというわけだ。

 試行錯誤→承認→尊厳→試行錯誤→…という幸せな生き方のサイクル、とてもいいなと思う。しかし、今の子どもたちの置かれている環境は、このサイクルを駆動させやすいものとは言い難い。それどころか、「みんな仲よく」であったり、「約束事だらけ」であったり、「失敗することが許されにくい」環境が取り巻いている。もっともっと、子どもたちが「失敗しても大丈夫」、失敗経験を重ねて<セレンディピティ>を向上できる学びの場、暮らしの場に向かわなければと思うばかりだ。それは、学校任せにしているだけではマズそうだ。オバマ新大統領の就任スピーチの中の<寛容と好奇心>という言葉がすごく心に残った。きっと、彼も気がついているのに違いない。歩むべき道筋が、<自律社会>に向かっていることを。


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