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てら子屋コラム

【コラム】身につく学び
中間 真一

新年明けましておめでとうございます。

 例年ですと、お正月をはさんだ前後二ヶ月くらいの間、私たちは学びの研究機関誌「てら子屋」発刊の準備で慌ただしくしています。先日も、いつも年一回の「てら子屋」発刊を楽しみに待ってくださっている方から、「今年も、どんな特集テーマで出てくるのか、楽しみにしていますよ」と連絡をいただきました。そんな期待の数々にしっかりと応えるべく、私も編集責任者としてこれまで頑張ってきました。
 しかし、今シーズンは残念ながら機関誌発刊はお休みです。ワークショップもお休みしました。そういうわけで、なにやら足りない感じがつきまとうこの頃です。なんとか再び、変化の先の未来に向けた「学び」をテーマに、私たちのパブリシティ活動を復活させたいと思う新年の幕開けです。
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 というわけで、私は「てら子屋」という媒体を、どんなテーマでこしらえるか、そのためにはどんな話題を集め、どんな人たちの力をお借りするとよりよくなるか、いつもセンサーを働かせています。この新年のコラムでは、私が「次は、この人に寄稿していただきたい」と思っていた中の一人のお話を少しだけ紹介させていただこうと思います。ご本人には何のお話もしていないのですが、何卒ご容赦願えればと思います。

 その方とは、京都大学大学院教授の辻本雅史先生です。先生のご専門は教育史、特に江戸時代の教育、社会思想や文化をご専門とされる歴史学者です。つまり、「てら子屋」の原点としての「寺子屋」を再考するには、ぜひともお話を伺わなければならない方として考えていたのです。
 最近、どうも私は歴史研究者の仕事に惹かれることが多いようです。現在から刻々と変化するその先へ、常に前方視界に注意を払い、新たな情報を漏らさぬよう目を開き続けるトレンド・ウォッチャーの仕事より、史料などの過去からの残りものをたよりに、後方視界を広く深くとり、たっぷりの時間蓄積の中で磨き上げられた歴史の鏡の上に、今そして近未来を投影してみようとする仕事に、確かさと安心感を覚えます。年齢のせいでしょうか。

 昨夏、ある研究会の場で、私は辻本先生のお話を聞く機会を得て、多くの興味深い江戸の教育の特徴を知りました。たとえば、個別学習、自主学習、個性発揮の場であった寺子屋(手習い)の学びの話しがあります。一つの寺子屋では、一つの手本を使うのではなく、その子どもの家の職業に合った手本を使用して、キャリアやスキル教育にも配慮されていたようです。
 また、朝早くから仕事が始まる豆腐屋の子と、夜遅くまでの仕事で朝の遅い居酒屋の子では、それぞれの家の生活時間のリズムに合わせて登校時間も違うということもあったそうです。自ずと授業も一斉形式ではなく、朝一番で師匠から手渡される手本をもとに、ひらすら手習いを繰り返す自主学習スタイルや、自分らしい草書体の書き方を身につけることを通じて個性を開発していくというのも、「個性が大事」などと頭ごなしに言われるだけの授業とは違い、日常の学びの営みからの自然な個性磨きです。
 そして、師匠の役割はといえば、一人ひとりの子に最適な手本を与えること、つまり学びのモデルを提供することと、自主的な学びを支援するということなのです。師匠は子どもと向き合う位置関係ではなく、子どもの傍らから見守るという位置関係にあったわけです。今、日本の教育界が北欧などの教育モデルから学ぼうとしていることは、じつは江戸時代の寺子屋教育に見つけられるものだったのです。
 教える側の都合による教育ではなく、学び手の都合、必要性、意思に応じて構成された、学び手主体の教育の場が、寺子屋のみならず江戸期の学びの場には存在していたようなのです。そして、知識を教えられて記憶したり、理屈の理解をしたりというよりも、徹底的な読み書きを通して生活の知恵を「身につける」という身体性重視の学びの場だったと言えるのです。現在の学校教育とは、だいぶ違いが明らかなようです。このことは、江戸時代の「学問」の学びとしての儒学についても共通するとして、素読によるテキストの身体化などを例に辻本先生は説明されていました。
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 高度情報社会に入った今だからこそ、まさに「身につく学び」の必要性が高くなっているのではないでしょうか。ますます生き方も、メディアも多様化が進むこれからだらこそ「身につく学び」が求められるのではないでしょうか。いつまでも、子どもの学びの問題点を「学校教育」の一斉授業の中に押し込んで処理しようとすることに誤りがあるのかもしれません。
 だから、日常の生活世界が、もっともっと学びの場の価値を顕していくことが必要なのだと感じています。それは、子どもたちだけの学びの場ではなく、取り巻く大人たちの学びの場、学び合う社会に発展するはずです。こんな初夢のような話題をもって、年の初めの「てら子屋コラム」とさせていただきます。今年もよろしくお願いいたします。


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