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【コラム】感じる物理学
澤田 美奈子

 サンフランシスコは博物館や美術館、科学館などのアカデミック施設も充実している。例えば2008年にリニューアルしたCalifornia Academy of Science(カリフォルニア科学アカデミー)は、屋上庭園の熱帯雨林、水族館、プラネタリウム、博物館が一同に集結しているという珍しさもあり家族連れや観光客で連日賑わっている(当博物館については「てら子屋vo.10」でも紹介しています)。
 この緑いっぱいの施設も良かったのだが、今回は一見地味ではあるがじわじわと面白いExploratorium(エクスプロラトリウム) について報告したい。

 エクスプロラトリウムは湾岸地区、住宅地の一角にある。科学館と聞いて想像する近代的な建物ではなく、質素で倉庫のような外見だ。足を踏み入れると薄暗くはあるが天井が高く開放感があり、飛行機の格納庫と言うほうが近いかもしれない。そんなあやしい倉庫のような科学館が期待以上に面白く、とりわけ物理学の展示に魅了された。

 日本の教育の場合、数学ができないと必然物理にも進めない、という流れが出来上がってしまっている。私自身数学につまずいたときから物理も縁のない学問として遠ざけきた。にも関わらず、素養がない人間にとっても惹きつける何かが物理学にあるというのは、今回の発見だった。

113_01.jpg 入場後すぐ足が止まったのが、Forever Falling Magnetという展示である。要は「磁石があって電流が流れると磁界が発生する」というベーシックな原理を紹介する展示なのだが、その見せ方にひねりがある。
 斜めに置かれたアクリル製の透明な円盤の中に丸い磁石が10個ほど入っている。見学者がその円盤を回すと、スススと中の磁石が円盤の隅を伝って転がるように上に上がってきて、そしてある程度上がるとストンと落ちる。それをひたすら繰り返す。回転盤の下の部分はアルミ板でできているので、磁石は何もない場合は自由に動ける。だが円盤を回すことで電流が発生するので、磁界が生じ、磁界の影響で磁石が円盤の淵を回転しながら上まで上がっていって、ある地点まで上がると重力が働くので落下する、というからくりである。
 まず単純に、磁石の動きが面白かった。急な傾斜をギリギリまでなんとか上るものの、それ以上は頑張れずにボトッと諦めたように落ちるという動きがコミカルだった。
 しかし見ているうちにふと「Forever」という言葉が気になってきた。Foreverなんてサラッと書いてあるが、永遠に続くなんて、そんなこと本当にあるんだろうか。未来永劫この磁石は上っては落ち、を続けるなんて、誰がなぜ断定できるんだ。といった哲学的な問いが円盤と共に頭の中をぐるぐると回り始めた。
 おそらくこの手の疑問を抱いてしまうのは、私が心理学や生物学といったナマモノを相手にする学問ばかりやってきたからだろう。つまり、いつも向き合う対象は“生き物”だった。だから磁石の動きを見ているうちにだんだんと磁石が生き物のような気がしてきて、よくもまぁ飽きもせず頑張れるものだなあ、いつか学習して諦めるんじゃないかなあ、などと考えてしまっていた。だが磁石はモノだから、意思も学習も疲労の蓄積もない。いくらそれが“生物っぽく”見えたとしても。支配する法則が働き続ける限り、モノの動きは永遠に続くということが言えるのである。それがモノの世界なのだ。

 113_02.jpg 次に目に入ったのは、金属の太い棒の端におもりがブラブラ揺れる振り子である。振り子といえば物理ではおなじみのアイテムだが、説明板に「Chaotic Pendulum」と書いてあって思わず、エッと思った。カオスって!どう見ても、二つのおもりがブラブラ動いているだけだ。決して複雑な運動ではない。それでもパネルには「この動きを予測するのはとてもハードだ」と念押しのように書いてある。予測できないのは複数の物体が周期性のない動きをしているから、らしいが。そうであれば先ほどの磁石のほうがよほど妙な動きをしていた。こんなシンプルな動きのどこに“混沌”が起こっているのか、しばらく振り子を見つめ続けていてもどうにもわからなかった。
 先ほど磁石でも思ったことだが、生き物はモノではないように、モノは生き物ではない。生き物にはその振る舞いに何かしら意味があるので、そこから類推して動きの予測ができるが、モノはそうではない。だからこんな一見シンプルにみえる動きすら、人間にも、その人間がつくったスーパーコンピューターにも、予測がつかないんだろうか。それにしてもこれがカオスだと言うならこんな動きをするものなど身の回りにはたくさんある。世界はそんなにカオスだらけなのだろうか。むしろモノより人間のほうがずっと、パターン化しており、予想が容易く、単純な存在なんだろうか――。などと考えているうちに、モノだとか人間だとかいう定義自体が何だかグラグラと揺れてきてしまった。


 一通り見学して回った後、出入り口にあったパネルで、当館の設立者が物理学者のオッペンハイマー氏だということを知った。物理学の展示にとりわけ魅了されたのは偶然ではなかったのかもしれない。
 "The whole point of the Exploratorium is to make it possible for people to feel they can understand the world around them.”という氏の理念通り、自分の手で触って動かして感じられるしかけがふんだんにあるエクスプロラトリウムは「参加体験型ミュージアムの先駆け」として世界的にも広く紹介されている。だがどうもこのごろ“参加”や“体験”と銘打ったものがありふれすぎていて、それが表面的にしか流通していないのではないか、そもそもでは体験とは果たして何だろうということがひっかかっていた。
 今回ここを訪れて思ったのは、体験というのは、何だかわからないがこころの奥深くをザワザワとさせ、説明だけではすっきりせず、後々まで引きずり続け、繰り返し繰り返し考えてしまうような“何か”をもたらすものなのではないだろうかということだ。ある意味、その場限りで解決されずにまとわりついてくる厄介な代物でもある。

 あの展示以来、「永遠」とか「カオス」とか「モノとは、イキモノとは」といった疑問が燻っている。数学はやはり苦手なので自分なりに言葉で考えている。この思索は物理学からは程遠い営みかもしれないが、それはそれで良いのではないかとも思う。球技が苦手でも野球を観戦したり、絵は描けなくても美術館の絵を鑑賞したりすることを誰も咎めたりはしない。美しい景色や素晴らしい名画に触れたときにふるえる“感性”のチャンネルを通して、科学をたのしむという方法もあっても良いのではないだろうか。そんなことを教えてもらった科学館であった。

※使用した写真は当館のスタッフの了承を得た上で掲載しております。


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