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てら子屋コラム

【コラム】 遊びこそ、えっ!?センス
中間 真一

明けましておめでとうございます。「てら子屋コラム」の読者のみなさん、今年もよろしくお願いいたします。学びの研究機関誌『てら子屋』の休刊から、早くも三年が経とうとしています。「てら子屋」は、未来の社会・生活をDO TANK(実践する研究所)として研究しようとするHRIが、未来の主人公となる今の子どもたちの育ちの場を、もっと豊かにできないものかと考えて97年にスタートしました。現状の学校や家庭の制約から離れ、望ましい「学びの場」づくりへの試行錯誤の営みです。

 スタート当時、私はHRIの生活研究の三つの基本テーマとして「遊ぶ」、「学ぶ」、「働く」の3分野を取り上げました。私の仮説は、「今はまったく別物、対立するものと考えられている遊・学・働、これら3つは、豊かな未来社会では渾然一体となるだろう」というものでした。
 しかし、いきなりそんなことを言っても、まともに取り合ってもらえるはずがありません。そこで、まずは三要素それぞれを研究テーマとし始めたのです。「会社の仕事」として最もテーマとしやすい「働く」から研究活動を着手、軌道に乗せながら「学ぶ」にも着手。おかげさまで、HRIは「働き方研究」や「学びの場研究」の成果で世の中からも注目されるようになり、21世紀の入口の時期には、未来社会・生活研究所としてのポジションを得るに至ったのでした。

 「てら子屋」は、若いスタッフや社外の素晴らしいサポーターの力を得て、毎回ほんとうにワクワクするワークショップを、参加した子どもたちと繰り広げてきました。それらのワークショップや研究活動を通じ、私が最も「学びの場」に必要なもの、「学び手」に求めたいこととして感じ取ったことは何だったと思いますか?それは、「遊び」です。自信を持って断言できます。素晴らしい学びは、おもしろい遊びと不可分です。

 一方の「働き方」の研究では、どうだったでしょう。今、多くの日本の企業では、閉塞感を打破するイノベーションを成し遂げようと、必死で生真面目にスタッフたちは日夜取り組んでいます。HRIでも、そのようなイノベーションプロジェクトをお手伝いしています。そこでの「働き方」として非常に大切ながら、強く排除されること、それも「遊び」だということを、私は現場の様子から感じ取っています。遊びの無い場からは、クリエイティブなアイディアは生まれてきません。おもしろいアイディアが、「無駄な情報」として瞬殺されてしまう場面に遭遇することは少なくありません。

 ところで、「遊び」とは何でしょう?「よく遊び、よく学べ」とか、「遊んでないで仕事をしろ」とか、三要素の内の他の二要素に対立するポジションとして受け止められていたのは事実でしょう。要するに、価値を生まないふるまいというわけです。「ムダ」です。
工業社会において、最も忌避されるべきふるまいと言えるかもしれません。手元の『日本語 語感の辞典』を見てみると、まさに「仕事も勉強もしないで無駄に時間を費やす意に使う」などという解説が見つかりました。広辞苑にも「仕事や勉強の合間」とありました。遊び=無駄という価値観が支配してきたのです。

 私たち世代(たとえば昭和三十年代生まれ)の生い立ちを振り返ると、少なくとも10才までくらいの時期には、「仕事も勉強もしないで無我夢中で日が暮れるまで時の経つのを忘れて遊ぶ」という思い出をみんな持っているでしょう。しかし、今の10才前の子どもたちはどうでしょう?周囲では、「塾でも家でも勉強しないで無駄に時間を費やす」ことは、子どもたちから限りなく奪われてしまっているように観察されます。そして、子どもたち自身も、それをあたりまえに受け止めているようです。
たとえば、私の小学生時代の正月は、必ず凧揚げをしていました。10才近くともなると、誰でもあげられる奴凧ではなく、揚げるのは難しいけれど、ものすごく高くまで揚がる角凧を、自ら骨組やしっぽの長さをチューンナップして、寒風の中、河原や校庭で揚げていたことを思い出します。馬鹿げているほどの途方もない長さの凧糸を足元に、豆粒ほどの大きさまで上空に揚がった凧に満足していたことを鮮明に思い出すことができます。しかし、この正月にそんな子どもの姿をみなさんは見かけることはできるでしょうか?凧あげどころか、外で遊んでいる子どもを見つけることすら難しいのが現実です。

 しかし、馬鹿げた高度までの凧あげの体験は、生きた学びにつながります。以前のてら子屋で、飛行機はなぜ飛ぶのかをテーマにしたことがあります。いきなり、「ベルヌーイの定理」の物理の授業をしたところで、子どもたちは学ぶ気など起こしません。しかし、まずは自分で模型飛行機を作って、飛ばして、もっとよく飛ばしたいという気持ちが生じると共に、彼らは理屈にも耳を傾けるようになったのです。私は、想像力や創造力につながる学びとは、こんな遊びとも学びとも区別しきれないような場から生まれるのに間違いありません。洞察力や分析力も同様です。仕事のセンス、学びのセンスは、「遊び」によるところが大きいと実感しています。だから、遊びはよく生きるためのエッセンスです。

 先日、地方の山間部のJAでインタビューさせていただきました。まず、HRIの会社紹介をして、いつものように「近未来の社会・生活研究のために、働く、学ぶ、遊ぶという3テーマを掲げていますが、遊びなどよりは、やはり”働く”という分野に重点を置いて研究を進めており・・・」と続けようとした途中で、そのJAのトップの方は「未来を考える研究所ならば、遊びこそ、最も重要なテーマではないですか?」と仰いました。そうです。厳しい時代の中にあるからこそ、私も堂々と「遊び」の価値を訴えることを進めなければと感じています。


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