COLUMN

2014.06.15中間 真一

幸せなのは、ロボットなのか人なのか

 先日、ロボット演劇『働く私』(平田オリザ作・演出、テクニカルアドバイザー:大阪大学石黒浩教授)を観る機会を得た。平田オリザ演劇展のプログラムの一つである。このロボット演劇は、追加公演も決まるなど、やはり関心を集めていた。以前に、『さようなら』というアンドロイド演劇を観た時には、ロボットと人間の境界が、観劇中にあいまいになってきて、人間としての自分の認識の確かさに自信を持てなくなってしまった。人間って、じつは簡単に機械に騙されて、コントロールされるのではないかと。
 
 私にとってロボット演劇2作目となる『働く私』では、登場する2体のロボットがRobovie-R3となり、よりロボットらしい外観になる。だから、前回よりは冷静に人とロボットの関係を楽しめるのではないかと期待して劇場の座席について開演を待った。
 
 簡単にストーリーを紹介しておこう。舞台は、真山祐治と郁恵の若い夫婦の自宅だ。この夫婦は、2体のロボット、タケオとモモコといっしょに暮らしている。2人と2体の暮らしぶりは、働かない夫と、夫に苛立つ妻、家事を切り盛りする働き者で気遣いの細やかなモモコと、働けなくなってしまったタケオである。この4者の交し合うコミュニケーションの中心にあったのは、結局は同居している他の3者を気遣うロボットのモモコだったのだろうか。夕食という極めて日常的な風景の一駒を切り取ってきたようなストーリーなのだ。
 
 働き者のモモコは真山家にとっては無くてはならない存在。一方の、タケオは何やらロボットと人の境界にある何かに気づいてしまい、働く意欲を失ってしまったらしい。ロボットが働く気力を失う!?ロボットが働けなくなった人やロボットを気遣う?!そんな馬鹿げた話しなのか?!と思うかもしれない。しかし、そんな安っぽいSFとはかけ離れた芝居だった。「働く」ってなんだろう。人間として働くってなんだろう。たった25分間ではあるが、そんな根源的な意味を問い直す、人とロボットのハートフル・ストーリーだ。
 
 芝居というのは、「間」が大事であり、「感情」表現が大事であることは言うまでもない。特に、今回の芝居は家庭の一場面での4者間のコミュニケーションがテーマである。それを、Robovieのようなツルンとしたロボットに演じられるのか?私も、観劇前までは疑っていた。前回のアンドロイド演劇では、あえて表情を消した演出だったと感じていたからだ。しかし、タケオとモモコの演技の間と表情は、驚くほどに巧妙であった。後から知ったのだが、モーションのプログラミング時に、パントマイム俳優や文楽人形遣いのアドバイスを得て作成したものらしい。ロボットでも、アッと驚かされるほどの表情がつくれるのだ。「間」についても、人間の芝居でも細かい演出をする平田氏だけあって、0.1秒単位で演出したとのことだ。驚いた時に発する「えっ」や、聞き返す「えぇ?」、同意の「えぇ」といった非語彙の発話が制作上で難しかったという。そんなロボットに対して、「相当に不器用だけれど、存在感のある俳優」だというコメントも残されている。その結果なのか、確かに今回の芝居でも、俳優たる人間がロボットの「間」に合わせているとは感じられず、ここまで自然なやりとりができるのかと驚くほどに、双方で自然な演技をしていた。
 
 そして、私は今回のロボット演劇でも、前回とは違う人とロボットの境界が消えかかる感覚を覚えた。たぶん、素晴らしい台本と演出のなせる業であると信じたい。そうでなかったら、やはり人間なんてコロッと騙せるというところにつながってしまう。しかし、それは本当かもしれない。
 
タケオ:「ロボットに大丈夫という言葉はありません」
祐治:「じゃあ覚えよう。大丈夫っていう気持ち」
 
この一つのやりとりだけからも、いろんなことを考えさせられてしまう。
さらには、頑張り過ぎてうつ病になってしまう人間に対して、「ロボットには、頑張ることができません」と応えるロボット。確かに、「頑張る」ということは、良くも悪くも人間だからできてしまうことだったのだ。では、頑張りたくても頑張れないロボットのタケオは幸せなのだろうか?頑張ってくじけた祐治は不幸なのか?考えれば考えるほど底なし沼に入っていってしまい、そんな自分の状態が恐ろしくなった。
 
 このように、『働く私』は、またしても私にとって、人とは何か?コミュニケーションとは何か?という根源的な問いかけの契機となってしまった。そして、「ロボットとはなにか?」と同時に、ロボットが「人間とはなにか?」を必死に訴えかけてくる芝居だったのだ。人間は、ロボットを鏡とすることで、自分自身を見ることができるのかもしれない。そんな中、ソフトバンク社は、人の感情がわかるヒト型ロボット「pepper」を来年2月に19.8万円で発売するとアナウンスした。
 
 最後のシーン、家の外の美しい夕陽を見て涙が落ちる人間に対するロボット同士の会話だ。
 
モモコ:「夕焼けって、好きな人と見るのがいいんじゃない?」
タケオ:「でも、僕たちはまだ、そこまで進化していない」
 
※青年団の承諾を得て、画像を転載しています。
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