COLUMN

2022.07.13田口 智博

電力不足から考える未来

 今年6月初め、政府から全国に向けて出された節電要請は、国内の多くの人々の暮らしに影響を与えようとしています。これから暑さが厳しくなる夏はもとより、冬には一層の電力不足に陥るリスクが高まると指摘され、私たちには節電に対してできる地道な行動が求められています。
 振り返ってみると、7年前の2015年にも、今回と同様に数値目標のない節電要請が発令されていたといいます。当時の記憶を辿ってみてもなかなか思い起こせず、それだけ電力使用に関して、普段無頓着になりがちであることを痛感します。

 昨今、気候変動に端を発するさまざまな地球規模の危機が叫ばれています。なかでも、温暖化が加速していることで、現在の化石燃料由来の電力生産は、喫緊に無くしていかなければなりません。これは誰しもが承知するところです。しかし、近年恒常化している夏の酷暑のように、取り巻く環境と折り合いを付けながら人間が生命活動を維持するには、ある一定の電力消費が欠かせないのもまた事実です。生活様式を急檄に変化させることが難しい中、私たちが地球環境と共存できる電力の供給と需要の理想形には、まだまだ取り組みは道半ばであると言わざるを得ません。

 ところで、先日、エネルギーに関する未来シナリオを考えるため、オムロングループ内のさまざまな部門のメンバーが集う場に参加をしてきました。そこでも、やはり議論の取っ掛かりとして話題に上ったのは、電力の供給と需要のバランスをどのようにとっていくか?ということでした。
 今まさに、電力の供給側では太陽光や風力をはじめ自然由来の電力生産への注力が進み、これまでとはその認識が大きく変わろうとしています。一方で、電力の需要側である生活者には、電力は天候や気象条件に関係なく、必要な量だけ提供されて当然といった考えが依然散見されます。需要側では、従来のまま認識のアップデートが図られていない現状があります。こうした電力の供給側と需要側の認識ギャップについて、いかに解消していけるか。それが一つの課題として浮かび上がってきました。

 しかし、冒頭で触れたように、節電要請は今回に限らず7年前にも発令されています。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉があるように、単に電力の現状理解を深めるだけでは、認識や行動の変容にはつながらないのも確かです。
 人は電力だけでなく空気や水などに対して、周辺環境からの享受が当たり前と捉えてしまっているきらいがあります。そうした今の環境から多くのもの受け取っているという事実への気づきなくして、それらをどう有効活用しようか、あるいは、どう循環させようかという思考には至らないという指摘も聞かれます。

 今回、未来シナリオを考える場では、このような認識ギャップの課題解決を含め、どのようにして持続可能な電力の需給環境を創り出していけるかという議論を進めました。そこでは、電力のもつ意味を広げていける価値提供が今後、必要になってくるとの提起が出てきました。
 たとえば、既に災害時などには、自分が蓄えた電力を近所の人にお裾分けできるサービスがあったりします。このサービスでは、これまで電力を需要するだけであった人が、供給する立場に打って変わります。個人の中において、電力の供給と需要の双方の認識が深まるとともに、電力が近隣同士の支え合いに一役買うという価値もプラスします。こうした電力のもつ意味を広げていける価値提供が、非常時だけでなく、日常の中での当たり前として形づくられていくことにより、これまでなかなか変わってこなかった状況の打開が期待できるのではないでしょうか。
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