COLUMN

2022.03.31小林 勝司

人間の欲望と「自然社会」

2月に開催されたウェビナー『OMRON Human Renaissance vol.7』では、ゲストにイェール大学助教授、成田悠輔氏を招き、「自然社会」をテーマに熱い議論が交わされた。

その中で、成田氏は「自然社会」について、「人類は植物のような存在に戻っていくのではないか」といったセンセーショナルな持論を展開。「植物のよう」とは、暇を消費するために負荷を最小限に抑え、無理なく生存する状態のことを指すのだと言う。技術の発展に伴い、人類生存に不可欠な作業の大半が機械に代替えされ、結果的に、優先順位の低い作業のみが人類に託され、やりたいことも見つからず、野心も持たず、既存の技術の下で程よく満たされた生活を静かに過ごしていく、それが「自然社会」の姿だという仮説だ。

確かに人類は、程よく欲望が満たされる生活を手に入れた。その生活を支える技術とは、スマートフォンやウェアラブルデバイスに他ならない。今や、先進国にいようが途上国にいようがスマートフォンさえあれば、衣食住に困ることはない。この姿は、2033年以降の「自然社会」と言うよりも、現在社会と言って良い。

他方、これまでと次元が異なる新たな人間の欲望が生まれているのも現在社会だ。いささか例えが極端ではあるが、世界的な企業家、イーロン・マスク氏は、2035年までに人類を火星に移住可能にするという大いなる野望を抱いている。また、Amazonの創業者、ジェフ・ベゾフ氏も、宇宙コロニーを建設するという野望を抱いている。数年前までは国家単位のみでしか取り組めなかった宇宙開発事業が、もはや一個人の欲望の範疇にあるのだ。

ご存じの通り、「SINIC理論」では、人間の欲望を中心に、科学、技術、社会が円環的に発展すると論じている。これまでの歴史を振り返っても、より速く移動したいという一人の人間の欲望が蒸気機関車を生み、鳥のように飛びたいという一人の人間の欲望が飛行機を生み出してきた。要するに、「SINIC理論」で捉えている人間の欲望とは、人類全体の2.5%を占めるイノベーター層の欲望であり、宇宙開発事業の例を見ても、そのスケールはむしろ飛躍的に拡大している。マズローの欲求段階説には、5段階目の自己実現の先に自己超越があるとされているが、「自然社会」の人類は、ディープテックの進化とともに、永遠に満たされることのない自己超越の欲求を追及し続けているのではないだろうか。
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