COLUMN

2005.12.01中間 真一

HRI15周年記念フォーラム特集 最適化社会元年-これからの生き方と社会を考える-

 HRIが15周年を迎えた年でもあった節目の年も、とうとう最後の月となりました。先月11月2日には、「科学・技術と社会の成熟した関係」をテーマとした村上陽一郎先生の基調講演や、HRI生き方研究「はたらく」「くらす」「まなぶ」の各テーマ別セッションなどによる記念フォーラムを開催いたしました。今月のコラムでは、フォーラム各テーマセッションを担当したコラムメンバーの私達から、その報告と感想を述べさせていただきます。4名分の長めのコラムとなりますがお許しください。

Work:「なぜ、働き方を選べないのか」(担当:吉澤康代)

 青年期が長期化しているのに、社会はなぜ、若者に「22歳できちんとした大人」になっていることを求めるのか?若者の声を代弁するのが、NPO法人「育て上げ」ネット代表の工藤啓さんである。「やりたいことを仕事にできないのは不幸」という意識が若者に蔓延しているが、「やりたいこと」に固執せず、「やれること」「やったこと」から、これからの「働き方」を考えるべきと提案してくれた。
 NPO法人DNA代表の渡邉さんは、「若者は『働くこと』を重く考えすぎている」と言い、働くことを身近に感じられるようにするための仕掛けづくりを行っている。ジョブカフェのアテンダント業務、「働くことを考える」シンポジウム開催、ラジオ番組の自主企画・制作等。社会人と接する機会の少ない学生には、多様な出会いと経験が必要であるが、それを「提供」するのではなく、「学生を募り一緒に作っていこう」というのが、若者らしい渡邉さんのスタンスである。
 2005年、「働き方研究」は10年目という節目にあたり、新たな展開を模索することになった。HRIという枠を越え、しかしこれまで皆様から頂いたご支援・ご指導、そして貴重な出会い・経験の延長線上に、私なりの「働き方研究」を追求していきたいと思う。

Care:「もし、ケアの豊かな社会であれば」(担当:中間真一)

 これまで、HRIの生き方関連研究テーマは、「学び」と「働き」だったはず。なのに、なぜ「ケア」なのか?それは、HRIが土台に敷いている未来シナリオの「自律社会」や、現に進行している「少子高齢化」という流れと「成熟した豊かな社会」の三題噺を編もうとすれば、自ずと必要になるテーマだからです。ですから、このフォーラムでの「ケア」のテーマは、新たなHRI研究の入口づくりでした。
 難しい理屈ではなく、実際に現場でケアに取り組む現実の話を持ってきたい。そこで、ゲストには長野県南相木村という山村の診療所長の医師、色平哲郎さんにお願いしました。ムラ医者として村人のみなさんの生死に寄り添う色平さんは、「私はお坊さんではありません」と言ったけれど、まるでお坊さんのようなほほえみを浮かべながら、力むことなく淡々と語りました。「お世話になる体験を積まなくては、お世話できる立場にはなれない」と。必要とする人は、take & takeでいいじゃない。できる時にはgive & giveでいいじゃない。やはり、ケアは取引ではなく「お互い様」ってことなんだな。果たして、今の先にそんな未来が実現するのだろうか。

Learn:「いま、学びに求められるもの」(担当:三浦彩子)

 ゲストは劇作家・演出家の平田オリザ氏。最初にHRI研究員から、90年代以降、教育や就労の場において求められる人間像は一貫して「自己決定」「自己責任」が可能な自律した強い個人となってきているが、それに戸惑い不安を抱える人も増加しているのではないか、いま必要なのは自律以前に「つながり」ではないか、という問題提起がされた。平田氏からは、これからの時代は個々人が自分の価値観を確立するだけではなく、その価値観を表現し互いにすりあわせていく「対話」というプロセスが必要であるということ、その「対話」を育むには「表現」を強制するのではなく、「伝わらない」という体験を与え、そこから「表現」の意欲と中身を引き出す試みが有効である、ということについて、自らの演劇的ワークショップの経験を絡めつつ、具体的にお話いただいた。これから社会が成熟社会に向かっていくためには、「学び」に「対話」の力をはぐくむプロセスが重要であることを痛感しつつも、今の高度情報社会において、それがいかに困難であるか、改めて実感するセッションとなった。

アシスタント:小山梓
 フォーラムを通して改めて考えさせられたのは、「共有する」ことの大切さである。村上陽一郎氏による基調講演では、科学・技術と社会が成熟した関係を築いていくためには、専門家でない一般の生活者も科学・技術についてまったく「無知」であることは許されない、ということが指摘された。それは、全ての人が専門家と同じ知識を身につけるということではなく、非専門家は専門家とは異なる視点から科学・技術の発展を方向付ける上での責任を負い、そのために考察や議論のベースとなる知識を共有することが必要だ、という主張であった。そこでは、「まなぶ」のテーマセッションでお話しいただいた平田オリザ氏が述べられていたように、「最初からわかり合えることを前提にするのではなく、わかりあえないこと、ばらばらであることを前提としたコミュニケーション」のあり方が重要になってくると考えられる。私は現在、「多様な学校のあり方」をテーマとした研究を進めているが、「多様であること」を「豊かさ」ととらえていくための大きなヒントをいただいたフォーラムであったと感じている。

 こうして、熱心な聴衆のみなさんと、地に着いた実践を通したお話をいただいた素晴らしいゲストの皆さんのおかげで、フォーラムは盛会のうちに幕を閉じることができました。多くの方から、「時間が足りないよ。もっと聞きたいフォーラムだった」とお叱りを受けましたが、私達はこれらを皆さんからの期待と受けとめ、次の歩みへと進みます。来年も、どうぞよろしくお願いします。
(中間 真一)
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