COLUMN

2011.07.01中野 善浩

シリーズ「楽園のパラドックス」#5失楽園のパラドクス

 南太平洋の中央部、赤道直下にあるナウル共和国。周囲が約20キロの小さな島国、人口は1万人。両極端の楽園を経験した国である。

 ナウルがイギリス人によって発見されたのは18世紀末。その当時、プレザント島(Pleasant Island)と名付けられた。文字通り、快適な島だったのだろう。温暖な気候と海の幸に恵まれ、島民たちはあくせく働くことなく、ゆったり暮らしていた。もちろんヨーロッパからみると、生活水準は低かっただろうが、島の人々は自足していたはずである。そこには自然の楽園があったと言えるだろう。

 その後、ナウルに豊富なリン鉱石があることがわかる。リンは肥料として貴重な資源であり、ヨーロッパ資本によって開発された。そして第2次大戦後に、ナウルは独立し、リンの採掘権も手に入れた。リンの採掘に当たるのはもっぱら外国人で、島の人々には働かずして、膨大な地代が入ってくる。税金もなく、医療費も無料で、何ら生産することなく、生活物資のすべてを外国からの輸入に頼る。日本でモータリゼーションが本格化する1970年代、ナウルでは一家に6~7台の自家用車を保有する家庭もあったそうだ。かつて自然の楽園であった島は、いっきに経済的繁栄を謳歌する現代の楽園となったのである。

 いずれリン鉱石が枯渇することは想定されていた。そこでリンで稼いだ外貨をもとに、将来への投資が行われた。海外での不動産を数多く購入し、また南太平洋のハブとなるべく、航空会社も設立され、日本への直行便ルートも開設された。しかし、投資や新規ビジネスに対する管理が緩かった。リンの輸出があまりにも儲かるビジネスであったために、しばらくは他での収益がなくても、問題にされなかった。例えば、ナウルと日本を結ぶフライトの乗客数は、10人以下という状況もしばしばだったそうだ。マーケットから乖離したビジネスは収益を生まず、原資は霧散する。

 やがて地表近くの、採取しやすいリン鉱石はほぼ枯渇すると、たちどころに経済が困窮し、ガソリンや電気などの供給も滞るようになった。そのうえ、かつて働かず、多くの食料を摂取していたために、肥満者の割合も8割近くにまでなり、糖尿病が死因の第1位となった。現代の楽園だったはずのナウルは、楽園のパラドクスがゆえに失楽園となったのである。

 資源がなくなり、お金もなくなった。ただし南国ナウルの人々は、楽天家らしい。過去は過去と割り切って、かつてのようなシンプルな暮らしを始めたという。食料を買うことができなくなったので、海に漁に出かける。多くの釣果があれば、物々交換を行う。身体を動かすようになれば、健康面でも好ましい影響が出てくる。周辺諸国の支援を得ながらも、20年の長期開発計画も立てるようになった。失楽園になったことが、ある種の望ましい方向を導き出した。失楽園のパラドクスと言えるだろう。

 かつて、公害の街として名を知られ、多くの被害が出た水俣市は、美しい田園風景が広がる清流の街として再生した。韓国は1997年の経済破綻を経験した。しかし挫折をバネとして、その後、国際競争力を大きく高めてきた。他にも失楽園のパラドクスに該当する事例は少なくない。

 楽園のパラドクスは、楽園という構造が、半ば必然的にもたらすものだと見ることができる。いっぽう失楽園のパラドクスは、窮地に学び、行動や能力を変えてゆく可塑的な人間の力によって生み出されるものだろう。大惨事を目の当たりにした日本。「悲劇のなかの希望」を見出す時とされている。パラドクスを生み出す力が試されている。
PAGE TOP