COLUMN

2011.08.15内藤 真紀

シリーズ「おひとりさま社会考」#3端切れ同士をつなげるパッチワーク型支援を

 「おひとりさま」の対極の代表格といえば、「サザエさん一家」だろうか。サラリーマン2人、専業主婦2人、小学生2人、幼児1人で構成され、郊外に平屋の一戸建てを構えつつ、経済活動や家事全般はもとより、育児、教育、各世代の趣味の相手にいたるまで、一家でさまざまに支え合っている。
 とうてい「おひとりさま」とは無縁だと思われるが、どうだろう。「おひとりさま社会」とは、身内に物心両面の支えを頼れない・頼らない人が増加する、あるいは主流化する社会だと考えれば、高齢者や若者の単身世帯に限らず、どんな世帯形態であっても「おひとりさま」化する可能性はある。
 たとえば夫婦世帯。経済状況の低迷は、夫婦共に精一杯働かなければならない状況を生み出している。中間さんのコラムにあった「稼ぎ手」と「支え手」の関係でいえば、世帯構成員が「稼ぎ手」ばかりになるという事態だ。サザエさん一家も例外ではない。ひとたび経済的に困窮すれば、家族総出で働かなければならなくなり、お金以外の面で支え合うところまで手が回らなくなるかもしれない。

 誰もが「おひとりさま」になりうる社会において、何が重要になるだろうか。前回田口さんが取り上げていた、特別養護老人ホームのような介護・介助サービスは今後ますます必要になってこよう。さらに、高齢者を対象としたサービスだけでなく、あらゆる世代が日常や緊急時に頼れる「支え手」もふえればふえるほど安心だ。
 ただし、家族が担ってきた支援の特徴でありやっかいな点でもあるのは、多種多様な能力を発揮するものであること、時間と場所が規定され量産や保存ができないことだ。たとえば、先日友人からこんな話を聞いた。出産を迎えた友人が長子を保育園に送迎してくれる人を探している。夫は早朝からの勤務で無理、頼りにしていた母親は急用で来られなくなったという。送迎なら自分が手伝おうと思ったが、登園の準備からやってくれなければ困ると言われたので諦めた・・・。
 たしかに一連の手伝いができる人が見つかるに越したことはない。が、「朝、子どもの登園準備をさせられる」という人と連携すれば、この友人も役に立てる。水泳のメドレーリレーやパッチワーク作品のように、複数の人が適時適所で技や時間を出し合い要望された支援を完遂させるようになれないものだろうか。空いている時間にできることを担い、それらをつなげて提供する仕組みができれば、「稼ぐ」人であっても「支える」役割を担う余地が生まれる。支えられる側と見られがちな「おひとりさま」高齢者も、「支え手」として活躍する可能性が開ける。支援ニーズに応えると同時に、不足している支え手の拡大にもつながるのだ。

 もちろんこの仕組みをつくるのは簡単なことではない。ニーズとサポート、サポート同士のマッチング・コーディネート機能の問題や、サポートの質と量の問題などの課題を抱えている。さらに大切な点は、私たちに考え方のシフトを迫るものだということだ。
 ひとつには、これまでの主流である、一定のタスクを設定しそれに見合う人材を当てはめる「タスク主導型」の考えだけでなく、まず人がいて、そのうえで意志や都合に見合ったタスクに取り組む「人主導型」の考え方を取り入れること。「できるときにできるだけ」というボランティア募集の惹句に、本当にそれでいいのかしり込みしてしまうのは私だけではあるまい。さらに、どんなことでも助けてほしいことを申し出てみること。日本人の我慢強さや他者への配慮は海外から賞賛されるほどのものだが、自発的な意志の循環で成り立つ仕組みではかえって停滞の要因となる場合がある。
 こうした考え方の容認が進めば、老若男女多くの人が互いに支え合うことができ、「おひとりさま社会」もいくぶん安心で快適なものになるのではないだろうか。
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