COLUMN

2013.02.01中野 善浩

美食への夢想

いまロングラン中のフランス映画『シェフ』。日本でもお馴染みのジャン・レノが主演で、舞台はパリの三ツ星レストラン。多くのメッセージというか、痛烈な当てこすりがあって、笑いのクライマックスではニッポンが描かれる。いろいろ屁理屈を並べることもできるが、理屈抜きで大笑いできる映画である。 メッセージのひとつが効率至上に対するノン(反対)であり、その象徴として分子料理が登場する。この分子料理に主人公たちは挑戦し、有名店へ視察に行ったりする。分子料理というと、フィクションのようだが、ちゃんと実在する。文字通り、分子レベルに着目し、美味しさや人間の感覚などを科学的に解明し、その知見を料理に生かすもので、1990年代から取り組まれてきた。フランスでは、高い評価を受ける分子料理レストランは何店もあり、日本にもある。相当数の研究者もいて、国際会議も開催されてきたそうだ。
 
 美味しさは人の感性に関わるものであり、分子という極めてミクロな分析はそぐわないという見方もあるだろう。しかし、さらに高い水準をめざすなら、新たな知見はプラスになる。だからこそ分子料理レストランは実績を残してきた。また、分子料理の特徴のひとつが遊び心で、あたかも分子レベルで調理したかのような演出も行われている。極彩色であったり、立方体の形状であったり、煙が出たり、食器も工業製品が連想されるものであったりする。見た目から度肝を抜いて、そのうえで美味しさを追求するようだ。
 
 約百年前、谷崎潤一郎が『美食倶楽部』という小説を書いている。四六時中、美味しい食事のことで頭を悩ませている金持ち連中を描いた物語で、日本中で贅沢を尽くした末に、倶楽部のメンバーの1人が行き着いたのが、美食狂の中国人による料理である。それは、まさに魔術とも言える料理法なのだが、そのなかに分子料理に相当するものがある。見た目は、どんよりとした液体でしかない。しかし、口にすると、驚愕の味わいが口の中に広がる。食べていくほどに味わいは濃くなり、先に飲み込んだ汁の美味しさが口腔に戻ってきて、味が輻輳し、渦巻いていく。メンバーたちは圧倒されてしまう。
 感受性の鋭い作家が、百年先の正体不明の料理を予見した。そんな解釈もできるが、別の見方もできる。人間が夢想するところは昔から大差なく、そのひとつが究極の美食で、食材を超越した、微細な物質レベルの調理法だった。しかし、それは到底実現できず、誰も真剣に考えてこなかった。ところが、活用可能な技術が増えてくると、夢想を実現しようとする人たちが出てくる。彼らはとことん人間の欲望や考え抜き、諦めずに挑戦し、やがて夢のような分子料理にたどりついた。
イノベーションとは、それまで存在しなかった何かをつくりだす行為である。存在していない何かとは、最初は夢想でしかない。程度の差はあれ、夢想する能力は誰もが持っている。差があるとしたら、夢想を実現不能と一蹴することなく、突き詰める姿勢だろう。イノベーターと呼ばれる人たちは、変わり者呼ばわりされてしまうのである。
 
いま、とくに若い世代にとって、希望を持ちにくくなっていると言われることが多い。けれど、多くの人たちは衣食足りている。だから日常生活に支障をきたさない範囲で、夢想することも大切だと思う。それは局面への糸口になり、人々の活動の場を広げていく可能性を持っている。その結果、美味しいものが食べられるようになる。
さて、『美食倶楽部』では分子料理もどきの他にも、魅惑的な料理が紹介されており、それは現段階では実現されていない。いつかイノベーターは現れるだろうか。
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