COLUMN

2013.05.15鷲尾 梓

子ども自身の舟

 公園デビューという言葉がある。子どもが一歳を過ぎて歩き始める頃、親子で公園に出かけて、ほかの親子連れの仲間入りをすることを指す言葉だ。
 うまれてからしばらく二人だけで過ごすことの多い親子(多くの場合は母子)にとって、公園という未知のコミュニティに出かけていくのは、小さな孤島から大海原に漕ぎ出していくようなものだ。その胸には、新たな出会いへの期待と不安が混在している。
 
 公園の砂場には、母親たちの言葉が飛び交う。「それはお友だちのものでしょう」「いいから貸してあげなさい」「貸してもらってありがとうは?」
 言わせているのは、相手の子どもへの気遣や、自分の子どもにマナーを教える目的だけではない。相手の親や周囲の親への配慮も多分にある。いま目の前の子どもたちは、どのスコップが誰のものかなど気にせず、夢中で穴を掘っているのだ。一本のスコップをめぐってもめたら、取り合うことも経験だ。「ありがとうは?」「ごめんなさいは?」という言葉は呪文のように子どもたちにまとわりつき、自ら考えて、問題を解決する機会を奪ってしまう。
 
 親子はひと組ずつで小舟に乗って、公園という海を漂っているようだ。舵はつねに親が握り、互いに舳先がかすかに触れ合うことはあっても、決して交わることはない。公園にはたくさんの親子がいるのに、皆ばらばらで、孤独な航海を続けているように見える。
 ベネッセ次世代育成研究所が0〜2歳児の親を対象に実施した「妊娠出産子育て基本調査」(2011年)では、「子ども同士を遊ばせながら立ち話をする程度の付き合いがある人が一人もいない」と答えた母親は34.3%。5年前の前回調査より9ポイント近く増え、約3割にのぼっている。「子どものことを気にかけて声をかけてくれる人がいない」は21.9(前回15.5)%、「子育ての悩みを相談できる人がいない」は27.6(同22.7)%と、「孤(こ)育て」の現状が浮き彫りになっている。
 
 このままではまずい。そう思ったのは、おもちゃの取り合いになったとき、目の前の相手と向き合わずに後ろを振り返って、「なんとかしてくれ」と親の顔を見る子どもたちの姿が気になったからだった。
 子ども同士がきちんと関わり合える環境が必要だ。ひとりひとりが、小さくとも自分自身の舟を操れるように。そのためには、親同士の意識の共有と、強い信頼関係が不可欠である。子どもたちの危なっかしい舟をおおらかに、でもしっかりと見守る仲間と場が欲しかった。
 模索の中で、同様の問題意識のもとに活動するグループの存在を知った。30年近い歴史を持つ鎌倉の「青空自主保育 なかよし会」をはじめ、「自主保育」や「共同保育」などの名前で全国に多数ある。どのグループも、地域の母親たちが必要を感じて、手づくりで作り上げてきたものだ。
 
 子どもに舵を握らせることがルール。親は、「お口にチャック、手はうしろ」--遊びもけんかも、大きなけがには注意しながら、極力、口出しや手出しをせずに見守る。親子のペアの寄せ集めではなく、みんなの子どもをみんなで育てる場になっている。見学させてもらい、体当たりでけんかしたり、小さな子を助けたりしながらいきいきと遊ぶ子どもたちの姿に、これだ、と思った。
 ただ、通える範囲に既存のグループがない。迷っている間にも子どもはどんどん大きくなる。ないならつくるしかない、と周囲に呼びかけると、「そういう仲間がほしいと思っていた」という親子数組がすぐに集まり、そろそろと船出した。
 
 実際にやってみると、子どもに舵を握らせるというのは、想像以上に難しい。しかし、少しずつ舵取りを体得していく子どもたちの姿を見る醍醐味を知ってしまうと、もう公園のあの静かな海には戻れない。彼らはいつか、もっと広い世界へと漕ぎ出して行くのだ。仲間とまっすぐに向き合う日々の中で、その自信と技術を培っていってほしい、と思う。
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