COLUMN

2013.12.01澤田 美奈子

天使の観察眼

ここ数年、健康や医療といったテーマに携わる機会が増えた中、ふと手に取った『看護覚え書』という本を読んで以来、フローレンス=ナイチンゲールという人が気になっている。
 
もちろん、いまや看護師の美称にもなっている彼女の名前は前から知っている。世界の偉人に関する伝記マンガでの理解によれば、ナイチンゲールは上流家庭に生まれながらも、周囲の反対を押し切り、当時は卑しいとされていた看護の仕事に就き、クリミア戦争の際には看護師のチームを従えて前線に駆けつけ、傷ついた兵士たちに昼夜問わない懸命の看護を行い、そんな彼女の献身ぶりに感動した兵士達は「クリミアの天使だ」と口々に言いました、彼女は看護の大切さを人々に教えたのでした、というのが彼女の偉業の大まかな内容である。マンガの絵の印象もあって、彼女のイメージは文字通り天使のような穏やかで物柔らかな雰囲気を持った女性だったため、彼女の著作『看護覚え書(Notes on Nursing)』を読んだときはそのギャップに戸惑った。
 
『看護覚え書』は、ナイチンゲールが自らの長年の経験から手繰りとってきた、看護やヒューマンヘルスケアのあり方の原理原則を結晶化させた一冊だ。副題として『-看護であること、看護でないこと-』と付けられているように、理想の提示だけではなく、実際現場の中で目にしてきた「看護とは到底思えない事柄」を列挙し、激しく非難する。非難の矛先は、まずは同僚の看護師や医師たちに向けられるのだが、やがて、無神経な見舞い客や、子どもを持つ親、当時のロンドンの劣悪な都市環境や労働環境を形成している政策担当者、管理責任者までに批判対象は広がる。看護における彼女の思想として一貫するのは、徹底した「患者」視点と、それを可能にする健全な批判的精神であるのだが、その筆致に滲み出る厳しさ、鋭さ、強さは、素朴な「天使」像を覆すものであった。
 
こうした関心を背景に先日のロンドン出張の際、時間を見つけて、「フローレンス・ナイチンゲール・ミュージアム」なる施設に足を伸ばしてみることにした。ロンドンはテムズ河の南岸、Waterloo地区。ビッグベンやウェストミンスター寺院、ロンドン・アイなどに向かう観光客の流れを逆流したところに建っている聖トーマス病院の敷地内にその博物館はある。正直、地味な施設を想像していたが、2010年の100回忌を機にオランダのデザイン会社がリノベーションを行ったとあって、モダンでスタイリッシュな内装に迎えられた。インタラクティブな仕掛けにも富み、彼女の生涯と当時の医療や社会背景について遺品やビデオ映像とともにおもしろく理解することができた。
 
館内で目に止まったのがナイチンゲールがクリミア戦争の際、夜間の巡回で使っていた例のランプである。例の、とは言っても、よくイラストに描かれているガラス製ランプあるいはロウソク台ではなく、実際使われていたのは写真のようなちょうちん型のものだったという。
今からさかのぼること160年。洗練された医療技術、看護技術どころか、ランプ一つさえ、こんな頼りなげなものしか存在しなかった時代である。それでもナイチンゲールはこの薄ぼんやりとしたランプ片手に、あの『看護覚え書』に書き留めているような、刻一刻と変化する患部の状態や患者の仔細な表情、肌色、息遣い、その奥に潜む感情、病室の環境などをつぶさにみていたのかと思うと、改めて彼女の「観察能力」の凄さを感じてしまう。
 
統計学者でもあった彼女は、例えば、病室の換気状況と患者の健康状態の相関関係にもいち早く気づいており、『看護覚え書』でも「空気の汚れや毒性などを測定できる小型で簡便な空気検査計が発明され、社会に普及すればどんなに素晴らしいだろう」との願いを切々と綴っている。いまや空気を測定する技術は巷に溢れており、測定どころか空気を清潔に保つアクチュエーション機能まで持つような清浄機が、家庭によっては一部屋一台といった普及率で存在するようになっている。技術発達のスピードというのはとてつもないものである。
患者の温度をみるのに足先や脛に至るまでいちいち手を当てて温度を確かめるしかなかった時代に生きたナイチンゲールと、耳に差し込んで瞬間的に体温を把握できる今の時代を生きる私たち。しかしでは私たちは彼女以上に、よりすぐれた人間の「観察者」になれているだろうかと問われると、答えに窮してしまう。きっとまだまだナイチンゲールに非難されてしまうことばかりではないかと思われる。
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