COLUMN

2014.01.01中間 真一

人と機械の「馬が合う」関係へ

新年、明けましておめでとうございます。
今年も、HRI研究員コラムをよろしくお願いいたします。
 
今年の干支は「午(ウマ)」、年頭のコラムは「馬」をお題にして記してみようと思います。これまでも、何度かコラムで取り上げましたが、私たちHRIの研究の原点には、オムロンの企業哲学「機械にできることは機械にまかせ、人間はより創造的な分野での活動を楽しむべきである」という創業者のメッセージがあります。そして、このメッセージは、時代とともに読み解き方も進化するものと考えています。
 
 とにかく、人間を工業生産の労働力として投入し酷使し、脇目もふらずに馬車馬のごとく働かせていた労働の環境から、少しでも「人間らしい働き」に向かわせることに人間らしさを活かす価値があるという考えから、機械にできることは、機械に任せようというビジョンは生まれ、機械化、自動化を推し進めてきたのです。つまり、人間のやっていたことの中から、機械でもできることを切り取り、機械に分担させようという考え方のオートメーション発想です。オムロンは、まさにこの人間視点のビジョンのもとに、ファクトリー・オートメーションの事業を通じて、「人間らしい働きの実現」に貢献してこられたことを誇りとしています。
 人が荷を引いた時代から、馬が荷を引き、より早く、より力強くなった馬車の時代へ、人から馬への仕事のシフト、人と馬の役割分担の推進とも言えるでしょう。
 
 このようなオートメーションの流れによって、日本をはじめ工業先進国では、人間が過酷な作業環境や単純な繰り返しの連続から解放されてきました。その後80年代あたりから、国際的な生産コスト競争に生き残る必要から、高価な機械に任せるよりも、まだまだ安い労賃で生産できる途上国に生産の場を変えて、再び機械よりも安く、どんな作業にも対応できる人間に任せてしまう「逆流」もありました。しかし、やはり仕事の場の進化の方向性は、時間差はあれ、基本的に変わらず歩みを進めているようです。
 
では、人と機械の関係は、このまま「人から、機械へ」担うべき役割を渡し続け、分離を進めていくだけなのでしょうか?私は、情報社会の進展の中で、新たな人と機械の関係が生まれ始めていると感じています。それは、「人と機械の一体感づくり」への方向性です。
 
 そこで、キーワードの一つとして浮かぶのが「人馬一体」というものです。まさに、人と機械の一体感という意味合いでしょう。これまで、人と機械の間の一体感という発想は、バイクや自動車のように、人と馬の延長線上の関係の中でしか主張されてきませんでした。しかし、これからはいろいろな道具と人の間での一体感が求められるのではないかと思います。人と一体感を持てる機械、人が一体感を持ちたくなるような機械こそ、高い価値をもつようになるという考え方です。クルマや自転車などはもちろん、スマホやタブレットでも、掃除機や調理器具でも、使い手との間に「分離感」ではなく、「一体感」を醸し出せる仕掛け、これこそが新たな「人と機械の関係」になると感じます。そのためには、なんでも機械の側がやってしまうのでなく、人間の関わりを効果的に残すことも必要になるでしょう。「お任せ」ではないのです。
 
そう考えていくと、また「馬」に出会うことになります。「馬が合う」という表現です。「人馬一体」から受けるイメージが、身体的な一体感とう側面が強いのに対し、「馬が合う」は、相性とか気持ちなど精神的な一体感という感じでしょうか。人と機械の関係の将来を考える上で、この二つはキーワードとなるのではないでしょうか。今年は、このあたりに頭を突っ込んでいってみたいと思っています。
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