COLUMN

2014.06.01内藤 真紀

安心を支えるものとは

先日岩手県で起きたAKB48の握手会での事件。相手を尊重しお互いの「いい関係」を保とうという暗黙のルールを破壊するものだった。アイドルと一緒の空間を大切にする者同士であるという認識は、一種の安心感をつくりだしていたはずだ。「大切なもの」を共有する間でも、やすやすと安心はできない世の中になったのか。
 
利便性などと引き換えに積極的に提供する場合もあるが、認めていようがいまいが個人情報が収集される時代になってきた。その情報が悪用されない保障はない。施設や設備の老朽化、交通インフラの運営ミスなどによる事故も目に付く。経済不安の裏側でビットコインが広がり、就職難ばかりか就職したとしても安泰ではない、という意識も高まっている。
安心を支えているかに見えた社会のシステムも、手放しで寄りかかっていられるものではない。いま、私たちの「安心」を揺るがせる要素はいくらでも見つかるだろう。
 
一方で、明るい展望ももちろんある。技術の進展は、安心を担保するひとつの鍵となろう。ほかにも、個人の社会参画が意識面でも社会制度面でも進んだり、人と人の「つながり」が広がるなど、人・社会側面の進化で不安要素が解決されていく可能性もある。将来は、これまでとはまったく異なる「安心の支え」が生まれてくるかもしれない。
 
いま当社では、「10年後の安心の支えとは?」をテーマに、以前ご紹介したシナリオプランニングに取り組んでいる。私たちの「安心」に求める価値と、「安心」を支える施策両方の方向性の変化によって、どんな社会が形成され、そこではどのような「安心」が求められ、どのようなサービスがどのような形で提供されているのか、を描くものだ。
描く未来社会は4つ。
①安心に求める価値が、合理性を追求するものになるのか、情緒的・感性的な満足を追求するものになるのか。
②安心の支えが、社会のシステムとして全体最適を考えて構築されるのか、個人を起点として個別最適に構築されるのか。
の2軸を組み合わせ、それぞれの社会のありよう、暮らしのありよう、サービスのありようを思案中である。
このセッションの内容や成果の概要を、近日中に本ホームページにてご紹介する予定です。ご関心ありましたらぜひご覧ください。将来の「安心の支え」について考えてみるきっかけになればうれしいです。
 
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