COLUMN

2002.01.31中間 真一

正月高校サッカーに観た、強い組織と自律した個人

 久々にお祭り騒ぎのない正月に、なんとなくテレビのスイッチを入れると、高校サッカー準々決勝、国見高校のゲームだった。私のような、ど素人が観ていても、高校生がくりひろげるゲームは、Jリーグとはひと味違っておもしろい。そうしてサッカーを観ているうちに、サッカーから離れて別のことを考えてしまった。

 それは、私たちの最も重要な研究キーワードでもある「自律」にかかわることだ。「自律」は、将来の社会を拓く重要なコンセプトであることは確かだ。しかし、私自身の正直な気持ちを吐露すると、多くの経営学者やコンサルタントが言うように「自律したプロフェッショナルな個人と、会社という組織マネジメントが、ともにハッピーな関係」という都合のよいものは、カイシャ社会において実際にあり得るのだろうかと、いぶかしく思っていた。

 じつは、国見高校のゲームを観ていて、なんとなくその「ハッピーな関係」をみるような思いがしたのだ。国見高校は強い。結果的に王者となった。なぜ、そんなプレーヤー、そんなチーム、そんなサッカーが実現するのか。カイシャという私たちの日常世界の組織と較べながら、いくつかのことが頭に浮かんだ。

 まず、チームのミッションが極めて明快だ。つまり、定まった相手チームに対して「ゲームに勝つこと」。そして、チーム全員が、程度の差もなく、そのミッションを受け入れられること。つまり、優勝というミッションを成就しようとする個々の気が、ばらつき無く高い状態にある。あたりまえのことだが、これが(大)企業の中では、とても難しい。

 プレーヤーはどうだ。チームプレーとはいえ、最後は個人と個人。一対一の勝負になった時、彼らは負けない。学生時代ずっと剣道をしてきた私にも直感的にわかる強さだ。後で知った話だが、国見高校のプレーヤーは、全員走力とキック力という基本能力において、群を抜いた力を持っているという。一人の天才が持つスペシャルテクニックよりも、全てのプレーヤーの足腰の強さ、基盤力優先の考え方を感じる。どうも、このことが結果的に各プレーヤーの個性と技術を、自律した関係の中で効果的に発揮させているように思える。この点でも、最近のビジネスマンのキャリア志向というのは、逆を向いている面がある。

 そして監督。私の無知によるものだが、常々、ゲームが始まった後のサッカーの監督采配というのは、選手交代くらいかと思っていた。しかし、よくよく気にして観ていると、プレーヤーの布陣に心を尽くしている。ディレクターは、決してコートの中に入ることなく、プレーすることはない。しかし、チームが勝つために、一対一の勝負に真剣に臨んでいるプレーヤーの「布陣」に、驚くほどに心を配っている。マネジャーの本質を見るようだ。大組織の中で情報メッセンジャーのようになったり、コマ不足を補うためのプレイングマネジャーになったりと、昨今の中間管理職の実状を思い較べると、違いは鮮やかだ。

 チームの規模、監督やコーチの役割、選手の養うべき力、ミッションのたてかた、国見高校のサッカーから、自律した強い組織と個人の関係が見えてくるような気がした。高校サッカーの頂点を極めたチームと、自律社会の企業と個人の関係を較べること、独り合点の無理な話しだろうか。
(中間 真一)
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