COLUMN

2016.11.01中間 真一

人と機械の間合い ~僕(しもべ)から朋友(ポンユー)へ~

 私たちHRIの主要テーマの一つは、「人と機械のインタラクションの未来」を考えることです。インタラクション(相互作用)というからには、一方的な関係ではなく、「やり」と「とり」の両者が成り立っている、やりとりの関係です。人と機械のやりとりの未来、みなさんはどのように想像されるでしょうか?

 これまで、産業革命以来の「機械」は、体力と筋力は人間を遥かに超える、疲れ知らずの力持ちとして能力を高め続けてきました。製鉄所の高炉、自動車の塗装、劣悪な環境の中、ほぼ休むことなく、文句も言わずに繰り返し働き続ける機械は、産業社会における素晴らしき人間の「僕」でした。さらに、コンピュータの登場によって、機械は人の力を超えた計算ができるようになり、お膳立てさえすれば、複雑な仕事もこなし、人よりも多くのことを覚えられる、情報を扱える頭脳(マイコン)を持ちました。それでも、従順な賢い僕という位置づけには変わりありません。

しかし最近、第四次産業革命だとか、「このままでは、機械の方が人よりも賢くなって、人は機械の僕へと逆転してしまう」という心配が巷にあふれ始めています。本当でしょうか?満員電車の中で、7~8割くらいの人がスマホの小さな画面に操られているかのようにゲームに熱中する姿には、危うさや不気味さを感じますが、それは従来のパチンコ台が手元に収まったようなものですし、囲碁や将棋で人工知能が人間に勝る結果を出すのは当然でもあり、このまま人と機械の関係が逆転するとは私にはナンセンスに思えます。だけれども、これまでのような一方的な主従関係、機械は人の僕という関係に変化が生まれる気配を感じています。

 それは、機械が人のよき相談相手になる「朋友(ポンユー)」と呼ぶに近いイメージ、同門、同志のような、頼もしい友のような関係への可能性です。ポンユーは、隣に寄り添って、心地よいサービスをしてもてなし続けるホスト役とは違います。時に厳しく叱咤激励されたり、時に喜怒哀楽を共にしたり、自分には思いもよらなかった示唆をくれたり、そういう存在になりそうな感じはしませんか?そんな関係になるためには、人と機械はどういうインタラクションをするとよいのでしょう?それは、今インタラクション技術が目指す方向のままでよいのだろうか?私は、こんなことをもう少し考え続けてみたいと思って、妄想し続けています。

 そんな中で、おもしろい本に出会いました。著者は、私もよく知っていて、時々アドバイスをもらったりしている細馬宏通さん(滋賀県立大学教授)です。若い頃は日がな観察をし続けても何センチ動くかというシャクトリムシに向き合っていた「元」動物学者ですが、今は観察の対象をムシからヒトに変え、フィールドでの人間観察を通して考察を繰り広げ、コミュニケーション論の世界で活躍されています。その彼の新著『介護するからだ』(医学書院)は、10年間ほど観察を続けてきた、認知症高齢者グループホームでの介護職員と入居者の「やりとり」から見つけたエッセンスが、臨場感をもって描き出されています。おもしろいです!

 普通は、介護という営みは、介護者から要介護者への一方的なものととらえられがちです。しかし、細馬さんは、双方が身体をそれぞれのやり方で動かすことで、初めて達成されるインタラクションの行為だと明言します。もしかして、これは人と機械の「朋友」関係のヒントになるのではないか?そんな下心を持って、私はグングン読み進めました。詳しくは、ぜひとも本書を読んでいただきたいのですが、彼は、互いの日常的なやりとりの中に埋もれている、ふとした「ずれ」「間違い」「やり直し」という意外なところに、人と人のインタラクションの妙を見出し、コンビニの店員さんからお釣りとレシートを受け取る時の仕草にまで展開します。確かに当たっていて面白い!二者の間に生じる、微妙なずれこそが、互いの信頼関係をつなげたり、安心を生み出したり、価値あるやりとりにつながっているのです。「ずれ」ているからよい関係が、僕(しもべ)ではなく、隣に並んでいる朋友に近づけるようなのです。

 翻って、技術開発の関心事はどうでしょう?「ずれ」や「遅れ」、「やり直し」は「ムダ」であり、それを除去することが開発目標となっているのではないでしょうか。「打てば響く」のような瞬時の応答性、「あうんの呼吸」のような高レベルの伝達性、ムダなく正しく応えることこそ、唯一理想的なインタラクションの要件のようにとらえられているところは否めません。しかし、実際の現場で起こっていることは、そうではなくて「ずれ」の効能によるものなのです。

 私は、こういう人間視点、未来視点の見方が、人との関わりが増す技術には必要不可欠なのではないかと感じます。その「ずれ」のような絶妙な「間合い」を、果たして機械が自動生成し得るのか?きっと、アルゴリズムでは書ききれない部分がありそうですが、「人工知能」の目指す姿として、こういう見方も大事にしたいと思うのです。人と機械の朋友関係を目指すためには、このような人間観察の成果が、もっともっと価値を持つことになるのではないかと思っています。「人間回帰」、レディ・ガガも訴えているようですし。
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