COLUMN

2019.04.01小林 勝司

『ブレードランナー』の舞台が“いま”であることに学ぶ

 私が最も好きなSF映画の一つに、『ブレードランナー』がある。もう、かれこれ百回以上は視聴しているヘビーリピーターだ。ところで、『ブレードランナー』の舞台が2019年、つまり“いま”であることをご存じだろうか。今回は、その点について少し考察してみたい。
 本作品の未来社会像を構成する要素とは、“酸性雨にまみれた大都市”と“レプリカントと呼ばれる人造人間”だ。場面設定は、極度に環境破壊が進み、人類の大半は地球外へと移住し、残されたマイノリティたちが酸性雨にまみれながら大都市で暮らすというものだ。また、ストーリーの骨子は、遺伝子工学が進み、“レプリカント”と呼ばれる人間以上の精神的・身体的能力を保有する人造人間が開発され、人間の代替えとして過酷な労働を強いられ、結果的に人間との対立構造を強めていくというもの。こうして描き出された未来社会像とは、当時から顕在化しつつあった様々な社会課題が極端にデフォルメされた世界と言える。つまり、持続可能な社会の構築に失敗した人類の姿でもあり、エクスポネンシャルな進化を遂げるテクノロジーをコントロール出来ずにいる人類の姿でもあるのだ。
 余談だが、こうした未来社会像の具現化に大きな役割を果たした製作者は、卓越したセンスを持つ工業デザイナー、シド・ミードと、音楽担当のヴァンゲリスだ。カーデザイナーとして起用されたシドは、作品内で登場する「スピナー」と呼ばれる架空の飛行車をデザインしたのだが、その際に描いたイラストラフの世界観をリドリー・スコット監督に見初められ、車両以外のインテリアや建築、都市の外観、コンピュータのインターフェースに至るまで、ありとあらゆるデザインを依頼されたのだという。その「スピナー」がジェット噴射しながら垂直離陸すると、荒廃した未来都市(設定ではロサンジェルス)の全貌が現れ、同時にヴァンゲリスによる乾いた電子サウンドが流れることで聴覚にも訴えかけられていく。
 話を元に戻すと、『ブレードランナー』が公開された1980年前後は、『E.T.』や『スターウォーズ』といった、所謂、ファンタジーでクールなSF映画が主流であった。カオスでダークな本作品の興行成績が全く振るわなかったことを考えると、恐らく、当時の人々は、地球環境やテクノロジーの進化が未来の脅威になり得るなど、あまり想像していなかったのだろう。しかしながら、『ブレードランナー』の舞台となった2019年を生きる我々は、実際、地球温暖化やAIの進化に伴う雇用機会喪失への懸念など、様々な社会課題に直面している。つまり、『ブレードランナー』の世界が、決してあり得ない未来とは言い切れない状態にある。
 現代社会は、オムロンのSINIC理論では「最適化社会」に位置づけられ、混沌と葛藤、破壊と創造の渦中にあるとされている。持続可能性を基軸とした社会を志向するのか、二酸化炭素を排出し続ける物質至上主義の社会を継続するのか、無秩序なテクノロジー進化を許容するのか、人間とテクノロジーの協調融和を図るのかなど、まさに人類の価値観そのものが大きな岐路に立たされていることを意味している。そういった意味では、『ブレードランナー』をある種の反面教師として、改めて社会の混沌と葛藤を検証してみるのも悪くないかもしれない(えっ、また観るの?と驚かれると思いますが)。
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