COLUMN

2021.04.02矢野 博司

桜の季節に思うこと

1970年4月15日の京都

 暖かくなってきました。桜も、あっという間に満開になりました。
各地に様々な桜の名所がありますが、オムロン関係者であれば、オムロン創業記念館のある鳴滝駅近くの「桜のトンネル」を思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。鳴滝「桜のトンネル」は、京福電鉄北野線の鳴滝駅から宇多野駅の間の線路両脇のある桜並木のことです。御室仁和寺駅の仁和寺の御室桜とあわせて、一度行かれて見てはいかがでしょうか。

 桜だけでなく、50年前のことも思い浮かびます。
SINIC(サイニック)理論は、50年も前の、1970年4月15日に京都国際会館で開催された国際未来学会「未来からの挑戦」で、『未来接近へのSINIC理論』として発表されました。1970年3月から大阪万博が開催されていたこともあり、日本中が未来を話題にし、期待に満ちていたのではないかと思います。ただ、このような明るい期待だけでなく、急速な工業化による水俣病、イタイイタイ病など各地の公害病の発生、都市への人口集中による過密、交通問題など、歪も見えてきた時代でした。創業者はこのような状況で、自社の技術や果たすべき役割を考え抜き、企業理念とソーシャルニーズをあわせたSINICに理論にまとめあげたのではないかと感じています。

 SINIC理論をまとめ上げる際に、多くの国内外の未来予測レポート資料を参考にしたと考えられています。1965年に出版されたフランス政府の1985年グループによる「1985年」や、その「1985年」の日本版として経済企画庁の有志であるビジョン研究会から1966年に出版された「20年後の日本」、SINICに理論に掲載されている1967年出版のハーマン・カーンの「The Year 2000」、OECDの未来予測調査をまとめたエーリッヒ・ヤンツの「技術予測」、梅棹忠夫や林雄二郎、加藤秀俊などがまとめた「未来学の提唱」などがあります。特に「未来学の提唱」での、梅棹忠夫、林雄二郎、加藤秀俊、川添登、小松左京らの対談は、現在においても、納得できる箇所が多く、読み応えがあります。林雄二郎はこの対談の中で、『本来科学技術というものは、人間の欲求を実現するために開発されていくわけですが、その結果が平等に還元してこないと言うか、そこにまた新たらしい歪みが起こっている所に未来論が出てくる一つの原因があるのではないですかね』と述べており、科学技術の進化が生み出す歪を格差として捉えていることに、驚きます。また、人間の欲求の実現が科学技術を駆動していくと述べており、梅棹忠夫の1957年の「文明の生態史観」、1962年の「情報産業論」とともに、SINIC理論の円環的相互作用や情報化社会の考え方に大きく影響を与えていると感じます。

 50年以上も前の社会論や未来論は、期待と不安、光と影など背反する事象が折り重なる状況で、考え抜かれた著作が多いです。例えば、SINIC理論では説明が少ない社会構造や組織論についても、1967年出版の中根千枝「タテ社会の人間関係」は、同質性、単一性の社会の分析がなされており、多様な組織や社会を生み出すための必要な観点が記載されており、感心することが多いです。VUCAな現在と関連付けることで、新たな発想やきっかけが得られると思います。

 桜を眺めつつ、50年以上も昔の本を引っ張り出して、現在の状況と対比させながら、読まれてはいかがでしょうか。

 私は異動になり、これがHRIでの最後のコラムになります。今までありがとうございました。
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