COLUMN

2002.09.12中間 真一

あそぶ力

 HRIでは、子どもと学びの研究の一環として、「てら子屋」という実践型のプログラムを継続してきている。今年の夏は、森の遊学舎というNPOの協力により、群馬県勢多郡東村の素晴らしい山の中の守小屋に泊まり、30名の小学生とともに5日間を過ごした。

 現地では電気も電話もガスも水道も自動車もない。もちろん水洗トイレもない、これまで人間が創造し、恩恵を受けてきた文明社会の基盤を失うことになった。そのかわり、川があり、岩があり、木があり、山がある。虫がいて、動物もいる。私たちは、いつもやっていた「人間」よりも、少し「動物」らしく過ごすことになった。



 しかし、子どもたちは「ない」ことに対して無頓着だ。「ない」ことより「ある」ことの方に好奇心全開となった。

 山小屋の前庭では、無数のトンボが乱れ飛ぶ。トンボ捕りを始めた子どもたちが、なにやらまとまり、みんなで捕まえたトンボを一つの虫かごに押し込め始めた。かごの中は、トンボでギュウギュウ状態だ。

 ここで、常識を心得た大人は、「こんなに広い空を飛んでいたトンボたちが、かわいそうじゃないか」とたしなめたくなる。しかし、もはや子どもたちの耳に、そんな言葉は届かない。トンボ集めはエスカレートするばかりだ。うまく捕れなかった子も、すぐにコツをつかみ、虫かごの中は圧縮トンボの状態となった。さて、その次に何が起こったか。

 「トンボ花火だあ!」今までトンボ捕りをしていた子どもたちが、虫かごの回りに集まってくるや、中の赤トンボ達が青空いっぱいに一斉に空に飛び立っていった。「これって、ほんとに花火だ。すごい!」意外な展開に大人は驚き、口あんぐり。ほんとうにスゴイというか、キレイというか、意表をつかれた一瞬だった。

 「最近の子どもは、あそぶことができない。あそぶ力を失っている」と言われる。しかし、目の前の子どもたちは、あそぶ力、あそびを創る力にあふれていた。連日の塾通いの最中だった子は、高い岩の上から川への飛び込みを夢中で何度も繰り返した。沢沿いの岩石の中にキラリと光るものを見つけた子は、宝石探しに夢中になった。山奥の斜面にどっかと根をおろす樹齢千年のカツラの木まで、険しい崖をのぼりたどりついた時の子どもたちの表情は、ほんとうに「すごい」という顔をしていた。真っ暗な山の夜を歩いた時、子どもたちの身体中のセンサーは、ものすごく高感度になっていた。こんな遊びの創造力、子どもの力を削ぎ落とさせているのは、大人社会の側からの「教育」かもしれない。自然が人間を育てる力、これをもっと大事にするためには、もはや非日常としての自然に、日常としての都市生活から、子どもたちをいざなえる人材の活躍や育成は、これからとても大きくなるだろう。

(中間 真一)
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