COLUMN

2008.01.01澤田 美奈子

流行言葉に御用心

 昨年もいろんな言葉が流行した。同世代の友人のあいだでよく使われ、私自身もよく使っていた言葉は、流行語大賞にもノミネートされた「どんだけ~」だ。はっきりと定義があるわけではないと思うが、英語の感嘆文、

 What a beautiful flower this is! (この花はなんて美しいんだろう!)

の、強調表現 What に該当するのが「どんだけ~」だと思う。それを例えば、

 Aさん : 「ごめん、その日は飲みに行けないんだ。仕事が忙しくてさ~」
 Bさん : 「え~、どんだけ~?」

というように使う。この場合「どんだけ~」の一言に込められているのは、Bさんの言外の気持ち―「どれだけキャンセルが多いのよ」とか「どれだけ仕事忙しいんだよ、大丈夫?」といった、ちょっとしたツッコミや軽い非難の気持ちであったりする。このような意味内容は、前後の文脈が共有され、気心の知れた2人の間ではそれとなく通じ合っていると思われるが、これを傍で聞いている人や、字面だけで見ていてもまったくわからない。会話のやりとりを行っている本人たちですら、(この言葉を出すと場が盛り上がるからなんとなく言ってみた)という場合も多いのではないかと思う。

 「どんだけ~」だけでなく、若者たちの流行言葉には概して同様の傾向がある。漠然とした心境や状況や程度の包括的表現である「ビミョー」「フツーに」「なにげに」、ネガティブな事態全般に対して発せられる「ありえない」、大した意味もなく会話の中でつい付け足してしまう「~とか」「なんか」「ていうか」といった表現など。こういった現代の"あいまい言葉"は、その短い一語で漠然とした心象や状況を表現できる、とりあえず言ってみればなんとなく場が持つ、しかもさまざまな文脈で使える、といった使い勝手のよさゆえに重宝がられるのだろうが、そこで交わされている言葉のやりとりは、どこか空虚で心もとない。

 私たちの多くは、言語はコミュニケーションのためにあると思っている。しかし言語の起源を考えてみると実はそうではないらしい。

 そもそも言語は、人間が自分の頭の中で、筋道を立てたり、考えを分類したり、まとめたりするための「思考のツール」としてできた、というのが最近の研究者たちの有力な仮説だそうだ。つまり、言語は人間の思考に大きく影響している。原因と結果の関係を吟味し、ものごとの流れをはっきりと見抜くのが、人間が「言葉」を持っているそもそもの意味なのだ。

 とすると、自分の考えや気持ちを「どんだけ~」や「ビミョー」といった単純な表現に変換し、その言葉に込めた内容を吟味する過程をうやむやにしてしまう"あいまい言葉"は、もしかすると「思考のためのツール」どころか、思考停止を促しているのではないだろうか。これは言語の本来的な役割に逆行した言葉のあり方とも言える。

 言葉を使って表現する機会が多い今の仕事をする中で、自分の言いたいことを的確に表してくれる言葉を探すのにいつも苦労する。その原因の一つは、ひょっとしたら、普段の生活での"あいまい言葉"の使いすぎによる思考力の低下にあるのかもしれない...とこの頃ふと感じるようになった。だとしたらそんな言葉遣いは、「どげんかせんといかん」と思いつつも、いったん癖になった言葉遣いを改めるのはなかなか難しい。思わず口をついて「どんだけ~」と言ってしまったときは、後付けではあるが、せめてその表現に自分が「どれだけ」の意味を込めたかを考え、言葉を補い、自分の思考をクリアにするように努めている。

 今年も世の中にさまざまな流行語が生み出されると思いますが、みなさまも"あいまい言葉"のご使用には、くれぐれもご注意を。
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