COLUMN

2002.11.22中間 真一

改善の力

 週末に、ある写真現像機器工場の作業改善発表会に出席する機会を得た。妻が、十数年前にその工場の立ち上げプロジェクトの仕事を担当したご縁で、お招きいただき、私はそれにくっ付いていったのだ。しかし、およそ二十年前、私自身の仕事のスタートも工場の現場からだった。とある協力工場にて、レントゲンフイルム自動現像機の初ロットを出荷するために、泊まり込みで自らドライバー片手に現場で奮闘していた頃を思い出す。とにかく、明朝の出荷に間に合わせなくてはならない。しかし、何度フイルムを通しても、微細なスリ傷が発生する。レントゲン撮影で、スリ傷は致命的な欠陥だ。ヤスリで応急処置をしたのでは解決しない。深夜まで工場のスタッフと共に考え、試し、奮闘する中、原因を突き止め、根本的な解決策を見つけだし、製品出荷できた喜びは、今でも忘れられない。

 それから二十年余り、私の仕事はモノづくりから離れ、形あるものを組織で作り出す場から、形なきものを個人で作る場へと転じている。望んで転じたコースではあるが、今回の工場の老若男女さまざまな方々による「改善」の力と、それが本物の証であることを示す製品のできあがりを目の当たりにして、正直なところうらやましく感じた。



 その工場で生産している機器は、日頃私たちが撮影したフイルムを、現像に出す店の奥に据え付けられていたりする小型の現像機だ。海外旅行や結婚式など、写真現像の品質問題は命取りだ。みんながそれを承知して、その機器の品質を高めつつ、自分たちの作業を、無理なくできるものにする。これが、現場のみんなの共通した目標だ。頭を使って知恵を出し、手足を使って汗をかき、仲間とつながり「楽(ラク)をしていいものをつくる」ことを続けている人たちの、年に一回の発表会というわけだ。

 大きな企業の工場であれば、このような改善活動やQCサークル活動のために、多くの時間とお金が投入され、型どおりに立派な活動成果が発表される。このような発表の多くは、プロセスやテクニック、定量的な成果の大きさが優先され、ナマの迫力、凄みが伝わってこないケースが少なくない。

 しかし、今回参加させていただいた工場での発表会は、まったく違った。とにかく、現場で問題を見つけたら、それを力づくでもやっつける。失敗もする。しかし、それでもやっつける。そんな繰り返しの中から、「俺達、ハッピーになってるよ!」という成果のメッセージを次々に発していた。理屈をこねくりまわすような発表が全く無い。手法の正しい使い方などにも無頓着。しかし、ストレートで、全ての聞き手に同じようにわかる。それを、茶髪にピアスのお兄ちゃん、ベテランのおじいちゃん、パートのおばちゃんらが楽しげに進めていく。「(活動を指導する)先生に怒られるから、ここまでやった」と正直に訴えるメンバーまで出てくる。しかし、彼らは誰のためでもない、自分たちがハッピーになるためにやっているのがうかがいとれた。

 「モノづくり」「改善」「全員参加」「積み重ね」、これら地道でジワジワとしたことは時代遅れに映る世の中だ。「ソフト」「革新」「個」「即効性」、瞬間的で点的な方が優れたことのように叫ばれる。しかし今回、思いがけず作業改善発表会に参加させていただき、改めて「改善」という仕業の底力を感じた。日々変わる。みんなで変わる。問題を感じている人が問題を解く。そのゴールとするところは、「みんなで、楽(らく)して、いいものをつくりだそう」ということだけ。個々のメンバーが、自律的にハッピーになることを目指して、現場から一つひとつ問題の解決を進める。それらが工場全体の改善の勢いにつながっている。もはや「改善(KAIZEN)」は、時代遅れというのは嘘だ。改革の痛みをグチグチ議論しているよりも、一つひとつ自分たちの抱える問題を解決できるサイズにして「改善」を重ねて進む力こそ、日本社会が自律社会へ向かうアプローチではないか。小さな工場から大きな希望をもらった一日だった。

(中間 真一)
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